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    2021.12月の奄美特選俳句五選
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      2021.12.20-22に掲載された南海日日新聞「なんかい文芸」から俳句を五句選したものです。

      今月は迫りくる年の瀬をうたう句が散見されます。

      2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。

       

      そして、今月の特選句を選ぶとすれば、〈04.露の夜に露ほどの吾の存へて  池田利美〉となりましょう。

      次選は〈05.花芙蓉奄美の色に咲き溢れ  きよし〉としておきます。

       

      01.日短や荒磯(あらいそ)波打つ夕嵐(あらし)  富山萬壽喜

       

      02.深閑と峰(お)の上(え)に懸かる冬の月  榊原矩明     

       

      03.冬の月香り辿りてびわの花  中馬しおん

       

      04.露の夜に露ほどの吾の存へて  池田利美    

       

      05.花芙蓉奄美の色に咲き溢れ  きよし     

       

      秀句

      新北風や踊りも太鼓もなく侘し  千代乃

      青空に雄々しき飛翔差羽かな 人麿 

      小春日の大海原を定期船 島田香代子 

      銀色の褥(しとね)温かろ冬夕焼 中村緑子

      座礁船冬の潮路に助け船 福山文乃

      秋天や千恵子の空の広がりて 登山磯乃 

      夕星(ゆうづつ)や木枯らし来たと便り来る  中川恵子

      青空を山茶花一花鴨の嘴 榊秀樹

      山茶花の語る廃屋の盛衰記  緑沢克彦

      山茶花や主戻りて賑はいぬ 重武妙

      潮風や廻り道する野水仙  小川文雄

      浮寝鳥あやなす波の狭間かな 窪田富美子

      石蕗咲くや石ころだらけの庭の隅 政久美子

      薄墨のひと筆書きの冬の雲   西田和香代 

      年用意剪定除草庭整理  益岡利子

      塩豚とツバサを買って年用意 久松敬志 

       

       

      〈選評〉

      1.日短や荒磯(あらいそ)波打つ夕嵐(あらし)

      奄美群島は東は太平洋、西は東シナ海に面している。いずれも大海である。瀬戸内のおだやかな海をみて育ったわたしからすると、奄美をとりまく海は雄々しく、時に荒々として、島々に牙をむくこともある。「日短」という季語に表現された季節。冬の海の色のほうが夏のそれより変化が富んでいることをわたしは知っている。わたしより身近に大海と接している奄美のひとたちの、生活圏と大海の接触点である「荒磯」に着目することで、冬の海と、それを観察している作者の距離が見えてくる。奄美の冬は静かに、深く進行してゆくのだ。海と陸の境界は明確だが、ときにその境界は俳句のなかで溶解もする。〈座礁船冬の潮路に助け船 福山文乃〉〈潮風や廻り道する野水仙 小川文〉〈浮寝鳥あやなす波の狭間かな 窪田富美子〉もここで揚げておこう。

       

      2.深閑と峰(お)の上(え)に懸かる冬の月

      俳句という詩型は、五七五の十七音字を墨守しようとすると、どうしても字余りとなってしまうことがある。この句も「峰(お)」「上(え)」が、本来は二音字になるところをあえて十七音字とするために一字にまとめる作業を行っている。このため二音字から一音字にするために活躍するのがルビである。俳句で使われるルビは、難解な漢字の読みや世間一般とは異なる読みを読者に提示するために活用するが、この句のように〈二〜三音字→一〜二音字〉に転換する作業のときも使われる。俳人の鈴木六林男はこのルビ使用を嫌ったと門人から聞いたことがある。漢字の読みは読者に委ねられたものであり、作者があえてルビ作業によって提示するものではないと判断したのだろうか。この句、季語として使っている「冬の月」のもとにさえざえとした光景が展開しているさまが活写されている。 

       

      3.冬の月香り辿りてびわの花  中馬しおん

      わたしごとだが、この句にも季語として使用されている「冬の月」を鑑賞するのを好んでいる。奄美は百年にいちど降雪が正式に記録されるような温暖な場所なので、ヤマト(本土)のように雪の句が登場することはほとんどない。雪が降らなくても〈冬〉はいくらでも感受できる。この句、どこかからか漂ってくる香りをたどっていくと、びわの花だったという嗅覚に誘われての発見が表現されている。俳句は自らの五感を覚醒させることで、作品世界の広がりを獲得できるのだ。今月の〈冬〉を使った句にふたつ挙げておきたい。〈薄墨のひと筆書きの冬の雲 西田和香代〉〈銀色の褥(しとね)温かろ冬夕焼 中村緑子〉

       

      4.露の夜に露ほどの吾の存へて   

      自然現象が生み出す変化に目を凝らす。露は、見慣れた草花に多くの水滴を発生させる。写生句は、その現象を句のなかに呼び込むだけが、文学的営為ではない。露を観察(写生)している主体(わたし)も、見えてくるのだ。一種の境遇句なのだが、露は時間が経過するときえてしまう儚い存在である。そうしたありように主体(わたし)を仮託して「存(ながら)へ」ると表現する。自然のありよあうと書く主体が相即の関係になっている。〈山茶花の語る廃屋の盛衰記 緑沢克彦〉もまた植物を語り部として、廃屋をみつめ、その住居に住んでいたひとたちのイストワールを想起させている。奄美もまたいまは誰も住むことのない家屋が少なくない。わたしが住む神戸市東部は、みっちりと隙間なく建てられ、そのひとつずつが、生活の生の現場である(阪神・淡路大震災のあとずっと更地のままの土地もあるが)。そんな場所から奄美を眺めると、廃屋が語りかけてくるイマージュは現役のひとが住む家屋とはまた異なるリアリティを発露する。

       

      5.花芙蓉奄美の色に咲き溢れ

      「奄美の色」ってなんだろう。まず田中一村の絵画世界を想起してみる。シマの中に住み、日々の生活を営んでいるシマンチュが感じる「奄美の色」はどんな色によって構成されているのだろう。つぎに奄美のこどもたちが描く島の自然の色を思い浮かべてみる。ありのままの自然をありのままに描いた多くの色が同居しているさま。ヤマト(本土)のような中間色ではなく、明度と彩度がはっきりした色の深度がはっきりした世界。「花芙蓉」は園芸植物として人気があり多くの品種がある。しかし植物や花もそこに植わっている土壌によって微妙に色が変化していくのだろうか。今月の「花」を詠んだ二作品。〈石蕗咲くや石ころだらけの庭の隅 政久美子〉〈山茶花や主戻りて賑はいぬ 重武妙〉

      | 今月の特選奄美俳句5選 | 07:51 | comments(0) | - |
      2022.1月の奄美特選俳句五選
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        ★2022年01月分

        2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。

        奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された

        1月26日から1月28日までの五つの俳句グループから出された作品から五句をえらん

        でいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

        しばらくぶりの投稿です。前回が2018年10月の記事なので三年半ぶりの投稿となりましょうか。すいぶんさぼっていたものです。

        今月は俳句にとってひとつの大きなジャンルである「新年」の作品がならんでいます。

        そして、今月の特選句を選ぶとすれば、〈01/ひる返る空に身をなぐ鯨波 山野尚〉となりましょう。

        次選は〈03/初鏡深い思いは映らずに 服部香 〉としておきます。

         

         

         

        〈評〉

        01/ひる返る空に身をなぐ鯨波   山野尚

         

        02/我を射よ命賜る初明り   久松敬志

         

        03/初鏡深い思いは映らずに  服部香 

         

        04/三献に平穏願ひ箸を取る  金井由美子 

         

        05/沖の大岩立神といふ初日待つ  京子 

         

         

        余選

        島唄の三味の音色や松の内  島袋京子

        獲物狙ひ刺羽の降下冬の陣   純子

        初夢や「ナオヤ」と呼ぶ声風強し  奥直哉

        大根の重さ引く抜く我が腕(かいな)  千代乃

        金柑煮る母の得意の鍋も古り  啓子

        木々伝ひ追われて差羽声遠く   中馬しおん

        年重ね旧家のみかん甘味溜め  中村緑子

        船影や初東雲の刻ゆるく   中村恵美子

        赤土に島大根のこの白さ   川間佳俊

        千重波(ちへなみ)の輝(かがわ)ひ寄する大旦(おおあした)  榊原矩明

        子の髪の甘き匂ひや初鏡  吉玉道子

        枯木立使わぬ火の見錆び果てて  池田利美

         

        〈評〉

        01/ひる返る空に身をなぐ鯨波

        わたしが理解できる範囲で読み違いを覚悟の上で言い換えをしてみよう。「とつぜん変化する空模様にあわせて私の存在のありようが鯨波という形象の大波によってさらされてゆく」――いくものメタファーに満ちた句である。「鯨波」とは興味深いひ詩語である。この季節、奄美諸島沖に子育ての大型鯨の母子が回遊してくるので、冬の季感あるいは季語として設定してもよさそうだ。ここに〈船影や初東雲の刻ゆるく/中村恵美子〉も挙げておこう。

         

         

        02/我を射よ命賜る初明り

        初日の出よりもうすこし時間がたって、新年の陽の光を形象化した。「我を射よ」という表現が秀逸である。作者である我を句のなかで定立しているその凛とした姿勢が、句の強さを際立たせている。「初明り」を全身にあびることで、あらたな生命が再生されるという生そのものに対する悦びと生きることの意欲。

         

         

        03/初鏡深い思いは映らずに

        俳句という詩型は作者の境遇がふとこの短い文学のなかに表出されたりする。また詠む対象をどのように知覚しているかも表現しうるのである。「初鏡」という正月らしい季語をつかって、その物象(初鏡)にまつわる描写だけにおわらせず、「深い思い」という作者のありようも登場させている。鏡は実相を映し出す道具ではあるが、内的な心象までも映し出せていない発見がこの句の多重性を深くしている。〈子の髪の甘き匂ひや初鏡 吉玉道子〉もいい。

         

        04/三献に平穏願ひ箸を取る

        奄美の「三献」は、正月料理のこと。「一の膳/吸い物」「二の膳/刺し身」「三の膳/吸い物」。島、シマ(集落)または家庭によって、この三献はによって内容は変わってくる。本土(ヤマト)では、おせち料理なのだが、最近は簡略化、外注化がすすんで、お重の数を競うといった話も少なくなってきた。奄美もヤマトもこうした正月料理を食べることによって、一年があらたまったことを自覚するのは一緒。俳句は歳時記のなかでも「新年」というカテゴリーがあり、この句のように正月ならではの食と接することで、一年の出発を自覚しているのだろう。ここでこの季節らしい鳥の句も紹介しておこう。小型の鷹の句。〈獲物狙ひ刺羽の降下冬の陣/純子〉〈獲物狙ひ刺羽の降下冬の陣/純子〉

         

        05/沖の大岩立神といふ初日待つ 

        わたしの「奄美俳句五選」の選句傾向として、奄美への地場性を意識した句を五句のうち一句は選ぼうとしている。    立神は、主に奄美大島によくみられる海中に立つ三角錐の小島(=「沖の大岩」)。奄美のひとたちは、往古より信仰の対象としてきた。本土(ヤマト)の神祇信仰の聖所は山深い奥宮にあることが多いが、奄美の拝(うが)んの対象は海であることが多い(福岡県の宗像神社も奥宮は海むこうにある)。海にむかって初日の出を待つ。その海には立神が立っている。この句、説明的ではあるが、むしろ作者はシマンチュなら誰でも知って、信仰の対象としている立神をあえて句にすることによって、自分がシマに住み、かつて齢を重ねてきたことを確認しているのだろう。ここでこの季節らしい鳥の句も紹介しておこう。小型の鷹の句。〈獲物狙ひ刺羽の降下冬の陣/純子〉〈獲物狙ひ刺羽の降下冬の陣/純子〉

        | 今月の特選奄美俳句5選 | 22:32 | comments(0) | - |
        18.10月の特選奄美俳句5選No.28/2018.10
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          2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の37
          回目です。
          奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された五つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

          〈今月から「なんかい文芸」に新しい俳句グループの作品が載るようになりました〉

           

          〈2018年10月の奄美俳句五選〉

          01/新北風のさらさら渡る琉球弧       緑沢克彦


          02/停電に流れ星待つ君を待つ          野山詩音


          03/たそがれの木もり柿一つ空屋敷    福永加代子


          04/しんしんと秋雨ふらば君思ふ       えらぶ明


          05/草相撲四本柱も塗り替へて           林

           

           

          〈評〉

          01/新北風のさらさら渡る琉球弧  緑沢克彦
          奄美群島は、種子島、屋久島、トカラ列島からつづいて南は沖縄諸島、宮古・八重山と続く島嶼群の中に位置している。この島々のつらなりを「琉球弧」という名辞で内外に広めたのが島尾敏雄だった。島尾の狙いは、日本が大陸にむけた顔をもっぱら見せていることに対して、琉球弧と呼び替えることで太平洋のネシア群(ミクロネシアなど)のつらなりと同位相としてとらえることで、日本(あるいは日本国の一部)というこわばりから自己解放していこうとすることであった。その島尾の想いが奄美・沖縄・宮古・八重山のひとたちに迎え入れられた時、自分たちの島々を「琉球弧」と呼び習わすことで、自分たちの生活圏が日本本土にとっての「南島」ではなく、主体的にここに根ざして生きているのだという深い自覚が喚起したのである。その琉球弧の島嶼群とそこに住むひとびとを包含してさらさらと新北風が吹き抜ける。なんと壮大な句想なのだろう。

           

          02/停電に流れ星待つ君を待つ     野山詩音
          計画停電という言葉を知らなかった若いころ、インドを旅していた時、宿の電気の供給が突然とまった事態に右往左往した。カルチャーショックだった。1970年代の日本でもよほどのことがないかぎり停電などあり得なかった。インド旅は、安宿に泊まっていたので私は停電になると天井の扇風機が廻らなくなり暑くて眠れないのと、暗闇の中で寝ているとシラミの餌食になるので、部屋の外に出る。そこで同じく外で出ていた外国人観光客と下手な英語で会話する。私にとって停電は過去の想い出だが、台風がしばしば通過する奄美では停電は珍しいことではない。停電が長引けば冷蔵庫にある冷凍食品はとけてしまう。なるべく冷蔵庫の扉をあけないという知恵も働くだろう。話をかえよう。同じ停電といってもこの作品はこうした生活の瑣細なことを思っているのではなく、「流れ星待つ君を待つ」とロマンティックなのである。もとより電気が通じなかった日にはこうして夜空を眺めながら、愛する人のことを待ちわびたのだろう。わたしの好きな石原久子さんの「そばやど節」の一節を引用しよう。「朝別れだもそ かに苦(く)てさしやが(ハヤシ・スラヨイヨイー)かに苦てさしやが(ハヤシ・かに苦てさしやが)かに十日(とか)廿日(はちか) 抜(ぬ)きゃに廿日過ぎる(ハヤシ・抜きゃに廿日過ぎる)抜きゃに廿日過ぎる/朝(あさ)夕(ゆ)どれ鳴きゅる浜千鳥(はまちぢゅりや) 其(そう)の吾(わが)如(ぐと)な あてど鳴きゅる」(CD「日本の民族音楽〈南海の音楽奄美〉KICH2017」より引用)愛する人が十日も二十日も来てくれなくなるなんてどうして過ごせようかという歌意。石原久子の哀切きわまる「なつかしい」歌声で何度聞いても心に響く。

           

          03/たそがれの木もり柿一つ空屋敷    福永加代子
          日本国内の空き家率は13.5%(2015年住宅・土地統計調査調査)。年々空や家が増加している。私の住む神戸市東部では神戸・大阪の通勤通学圏内であり人気の住宅地なので、空き家を見つけるのに苦労するが、神戸も中心部からすこし離れた住宅地にいくと、空き家がぼつぼつと増えはじめ、瀬戸内の島々になると、朽ちるにまかせた空き家というより廃屋がひとつの集落内でかなりの数となる。空き家あるいは廃屋になったとしても、手入れしない庭木はそのまま大きくなっていく。果実を実らす樹木は空き家の存在を際立たせせる不思議な効果がある。果実は季節がめぐると人知れず実を結ぶ。柿も柑橘類もその鮮やかな色が主のいない敷地で泰然と実を結ぶ。この句、「木もり柿」が空屋敷の戸主のように立ちすくんでいる。柿が登場するのは〈全霊を脚立に叔母の柿ちぎり   和学歩〉一人であることを謳歌しつつ、家というのは住む人がいてこそ機能するのだとあらためて想う句〈台風や古屋で一人満喫す    中山好風〉。

           

          04/しんしんと秋雨ふらば君思ふ   えらぶ明
          秋とは、ひととひととの距離を考えて沈思する季節なのかもしれない。その一年のなかで冬・春・夏とうつろいゆく季節を生きて、ふと振り返ってあの人、この人のことをふと述懐したり、久し振り会ってみたい人の顔も思い浮かべることになる。いまはいない人を偲ぶという意味で俳句には忌日俳句というジャンルがある。今年になって忌日俳句が定着して作品数も多くなりそうなのは9月24日の西郷隆盛忌(南州忌)。NHK大河ドラマもいよいよ明治篇に突入して、中央政府を離れ鹿児島に帰ろうとする場面に移る。〈黒潮に研ぎ澄まされし西郷忌    永二てい女〉〈為すべきを終へて逝きたし西郷忌    森ノボタン〉愛加那を歌った句には〈愛加那に島の習いの針突(ハヅキ)あり   登山磯乃〉

           

          05/草相撲四本柱も塗り替へて    林
          奄美はいつから沖縄式の「組相撲」をやめてしまったのだろう。組相撲とは最初から力士が土俵上で組むことから始まる相撲のこと。かつてNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」(2013)で秀吉がしかけた長浜城での遊興の場面では組相撲が写し出されていたように記憶している。16世紀のヤマトでもこの組相撲が主流だったのだろうか。さて奄美の相撲の話に移ろう。いまでも奄美群島のシマジマ(集落)には土俵がしつらえているところが多い。この地ではいまでも相撲が生活・民俗の中に息づいていることの証拠である(なにしろケンムンも相撲が大好きなのだ)。〈押せ押せと祖父母声あげ草相撲    千代乃〉

          | 今月の特選奄美俳句5選 | 09:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
          18.09月の特選奄美俳句5選No.28/2018.09
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            2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の36回目です。
            奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

             

            〈2018年9月の奄美俳句五選〉

            01/島影へ秋思い伝えよ日暮雲             川間佳俊


            02/台風禍離農してゆき若きひと          作田セツヨ

             
            03/本茶みち三又に分かれ乱れ萩          小川文雄


            04/チヂンの音掛け合う謳ひ秋の宵       平井朋代 


            05/集落の生き字引なり生身魂             池田利美

             

             

            〈評〉

            01/島影へ秋思い伝えよ日暮雲  川間佳俊
            秋という季節は、長く勢いのあった夏の太陽の勢いもかげり、影の濃さも変化が生じてくる。「秋思い伝えよ」との表現に感応した。詩的な呼びかけである。この表現に作者としての秋という季節、島という場所に生きる確かな生の実感を感じる。〈影連れて白き浜辺の良夜かな 榊原矩明〉もまた影を句に導き入れている。奄美の影はそれだけでひとつのペルソナを持つ。物理的な影、人と人の間に漂う影、そしてシマに生きる中で通奏低音のように存在する影。

             

            02/台風禍離農してゆき若きひと  作田セツヨ
            今年も多くの台風が奄美を通過していったが、とりわけ台風21号が大きな被害をもたらした。台風襲来は毎年のことであるが、被害にあった地域・ひと・ものは、被害の大小にかかわらず経済的負担がのしかかる。特に奄美にやってくる台風はヤマト(本土)に比べて勢力が強いままのものが多く、そのため被害も大きくなる。この句、せっかく奄美の基幹産業のひとつである農業に携わっていた若い生産農家が離農していくという寂しさと悲しみを詠っている。高齢化が進む農業就労者のなかで若い人がシマで農業に携わるのは、周辺の希望でもあったろう。それが農業から離れるという。作者とその若き離農者との距離は関係なく、切ない情況である。

             

            03/本茶みち三又に分かれ乱れ萩  小川文雄
            本茶峠はつづら折りの道をぬって通り抜けなければならない交通の難所である。かつて島尾敏雄研究会のひとたちと、本茶峠にあるとある店舗でバーベキューをしたことがある。山深い閑かなところだった。いまはトンネルができて名瀬から大島北部まで車

            の便もよくなった。その山深さをすこし知っている人間にとって、この句は三又という旅人や通行人をまどわす交差路にある乱れ萩という設定だけで、なにやら背後に物語性を感受するのである。

             

            04/チヂンの音掛け合う謳ひ秋の宵  平井朋代
            秋は奄美の祭りの季節である。かつて米作が島のいたるところで行われていた時、二期作の奄美では収穫とあらたな農作業がはじまる時季でもあったのだ。収穫を祝うこの時期にはシマジマでチヂン(太鼓=奄美大島・喜界島の呼び名)が鳴り、八月踊りが始まった。今月の例句として〈三線を友と爪(ツマ)弾(ビ)く秋音色 衣香〉も。奄美は生活の中でゆたかな芸能が息づいているほどである。かつて奄美を支配していた薩摩藩は、奄美に多くの祭事があることから、制限しようと試みたことがあった。シマではそうして抑制されるほどに祭事が多かったのである。もちろんその中にはノロ祭祀も含まれている。

             

            05/集落の生き字引なり生身魂  池田利美
            現在はシマと言い習わしているが、奄美の人たちはかつてシマをヤマト口に表現する時、部落と言っていた。部落は被差別部落の略称でもあることから、私も含めていつのまにか〈シマ=集落〉という表現に言い換えるようになった(しかし今でもシマ=部落と言う高齢者の方はいらっしゃる)。奄美群島のシマはひとつのミクロコスモスを形成している。ひとつの完結した世界なのである。その集落の生き字引である「生身魂」とはいったいなんだろう。「イキミタマ」と呼び、秋の季語。生きている尊者に対して礼をつくす日、またはその礼をつくすこと、の意味なので、シマで尊敬される高齢者のことなのだろう。余談だが「生身魂」に近い表現で「生霊」がある。「イキリョウまたはイキスダマ」と呼ぶ。源氏物語に出てくる六条御息所は生霊が自分の身体を離れて知らず知らずのうちに光源氏のもとにいる葵の上に取り憑くのである。しかし六条御息所本人は自分が生霊になっていることを知らない。恐ろしい怨霊の持ち主だが、源氏物語に登場する女性のなかで意外と人気のある女性なのである。わたしも六条御息所の持つ人間の情念の深さが嫌いではない。

            | 今月の特選奄美俳句5選 | 09:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
            18.08月の特選奄美俳句5選No.28/2018.08
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              2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の35回目です。
              奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

               

              〈2018年8月の奄美俳句五選〉

              01/潮騒は母のこゑかと盆の海                   向井エツ子


              02/朝顔を抱きて子供ら門に散る                平井朋代


              03/一畝の草取り鍬(くわ)の重さかな       山すみれ


              04/風の傷陽の傷つけて島バナナ                登山磯乃


              05/むちゃ加那の行方知らぬかアダンの実    惠ひろと

               

               

              〈評〉

              01/潮騒は母のこゑかと盆の海  向井エツ子
              奄美の盆は旧暦7月15日なのでヤマト(本土・関西)と時期がずれる。だいたい八月の半ばか九月にかかる。先祖崇拝がいまでも濃厚に息づいている場所なので年間の祭事のなかでも重要な位置づけである。この句、亡き母を偲ぶこころのありさまが、しっとりと伝わってくる。聞こえるはずのない母の声が、潮騒となって聞こえるのである。島に生き、島に亡くなった者たちは、形をかえて、いつでも身近にそっと生きている者たちに語りかけてくる。亡くなった者は遠くに逝ってしまったのではなく、手の届く身近な場所に同居しているのだ。奄美の人たちの生死観がよく現れている作品である。

               

              02/朝顔を抱きて子供ら門に散る  平井朋代
              かつて拙宅でもグリーカーテンの意味をこめて朝顔を育てたことがある。さまざまな品種があるなか昔から伝わる品種を選んだ。日当りがよかったのか蔓はどんどん伸びて、二階の窓にも達する勢いだった。子どもが幼かったこともあり、最初のうちはおもしろがって水やりをしていたのだがやがて飽きてしまい、妻の仕事となった。花の季節が終わってみると枯れた蔓など後片付けもすべて妻がやることになる。翌年には種は残ったものの、「今年はもういや」と妻に宣告されて我が家から朝顔は消えた。この句の家では孫に見せるまで毎年朝顔が咲いていたのだろう。羨ましく、かつ、ほほえましいいかぎりである。

               

              03/一畝の草取り鍬(くわ)の重さかな  山すみれ
              奄美は〈農の島〉である。生産農家として格闘するかたわら、近くの畑を耕し、日々の野菜などを作ることもありうるだろう。奄美では100歳以上の高齢者が115人(2015年)いて現役で畑作業をしている人も少なくない。しかしそれでも若い時には気にしなかった鍬の重さが加齢とともに感じてしまう。その年齢の積み重ねを実感している作品である。〈こってり味好みし夫に南瓜煮る 金井由美子〉も家庭のなかのなにげない光景を見逃さずに句に昇華させている。俳句作家にとって日常こそ、俳句作品が生まれる沃野なのである。

               

              04/風の傷陽の傷つけて島バナナ  登山磯乃
              少し酸味がある島バナナ。こぶりな形状がかわいい。ヤマトにも出荷されるがすぐ食べないと、黄ばんでくる。その島バナナをじっとみつめる。グローバル企業がつくり輸入され店頭にならぶバナナの皮は、ぬめっと白く傷がついていない。それに比べて島バナナは野趣ゆたかなので、輸入バナナのようにはいかない。その形状をこの作者は見逃さなかった。「風の傷陽の傷つけて」とはなんて詩的な表現なのだろう。バナナに対して、島に生きる者として、バナナと同じ風、同じ陽と接していることへのいつくしみが表現されている。〈大海の青に収まる阿檀の実 竹田史郎〉もまた島の植物(阿檀の実の「紅」)が島をつつみこむ大海原(海の「青」)が対照しているさまを描いている。

               

              05/むちゃ加那の行方知らぬかアダンの実  惠ひろと
              シマウタとして歌い継がれている「ムチャ加那節」。異説はあるものの、ムチャ加那は、加計呂麻島・生馬(いけんま)集落出身の母ウラトミの娘として喜界島・小野津集落に生まれた。母娘ともに美人だったそうだ(奄美の悲話として伝承されている物語のヒロインはきまって美人である)。母ウラトミは、薩摩の役人から島妻(アンゴ)になれと強要され、それを拒絶。絶対的な支配者である薩摩役人の要求を拒否するわけにもいかず、シマの人たちがとった選択は板付け舟にムチャ加那を乗せてシマから放逐することであった。そのムチャ加那が流れ着いたのが喜界島・小野津集落。そこでめぐりあった島役人と結婚して、生まれたのがムチャ加那。その美貌は母ゆずりだった。その美貌に嫉妬したのがシマの女性たち。冬の岩場でのアオサ摘みに誘われたムチャ加那はシマの女性たちに海に突き落とされ、溺れ死んでしまう。その遺体は父母が見つけたという説と、奄美大島住用村の青久という集落に流れ着いたという説がある(青久には「むちゃ加那の碑」がある)。心を打つ哀しい物語である。ただ、喜界島にはムチャ加那の美貌に嫉妬して突き落としたメーラビたちの子孫も生きているので、このシマでは今でも微妙な空気が流れているのかもしれない。

              | 今月の特選奄美俳句5選 | 09:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
              18.07月の特選奄美俳句5選No.28/2018.07
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                2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の34回目です。
                奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                 

                〈2018年7月の奄美俳句五選〉

                01/亡き吾子の香りをたたむ白きシャツ    宮山和代


                02/一湾の風をあしらふ海紅豆                中村恵美子


                03/黒南風の肺まで満ちて独りなり          福山勇人


                04/方かげり一服するには風足りぬ          和 学歩


                05/白南風の大海原をカツオ船                嘉ひろみ

                 

                〈評〉

                01/亡き吾子の香りをたたむ白きシャツ  宮山和代
                哀しい句である。俳句には「吾子俳句」というジャンルがありそれは幼子や成長していく楽しみを謳った内容なのだが、ここに登場する吾子はいまはこの世に存在しない。その子が着ていた白いシャツをたたみながら、親としてその子の短かった全人生を振り返っている。生と死は隣座している。〈臨終は日々そこにあり黒揚羽 宝田辰巳〉は対極として自らの生の終わいを深く自覚している。ふと日常にすべりこむ人のいきざま。〈堤防に夕焼見つめいる翁 坂江直子〉もいまある生を噛み締めながら翁のありようを活写している。生きるさまを朗々と謳い込んだ句に〈仏桑花今日の命を赫々と 川間佳俊〉も。

                 

                02/一湾の風をあしらふ海紅豆  中村恵美子
                この句「一湾」という表現で奄美の地形をぐっと掴んでいる表現を評価したい。たしかに奄美大島はこうした深い入り江があり沖には立ち神がある。一湾とはシマのひとつの言い換えとなる。海に開かれた地形を観ずればこうした把握になるだろう。つづく
                「一湾の風をあしらふ」という表現も卓越している。シマの海から吹きそよいでくる風を受け止めようとしている言うのだ。受けとめているのは「海紅豆」(=かいこうず、デイゴ)なのだが、それはシマに生きるシマンチュの換喩なのかもしれない。

                 

                03/黒南風の肺まで満ちて独りなり  福山勇人
                奄美の俳人たちの句を読んでいると、いくつかの傾向が思い浮かぶが、この句のように〈生きることそのもの〉〈シマに生きること〉の覚悟を謳った作品に出会う作品もそのひとつ。「独りなり」と強く言い切ることの覚悟。「黒南風の肺まで満ちて」とは今の生のありよう、現実を五臓六腑の底まで落とし込んで是認しているのだという揺るぎない心情が謳い込まれている。〈いささかの迷(まよ)ひもなしや蟻の道 窪田富美子〉の句も決まった方向につづく蟻の行列を「いささかの迷(まよ)ひもなし」と観る作者の心意気が反映されている。ただ蟻の集団の中には働いているようで実際的な餌を運ぶといった実務をしない蟻が必ずいるのだが。

                 

                04/方かげり一服するには風足りぬ  和学歩
                「方(片)かげり」とは夏の日陰のこと。温度だけ比較すると奄美と関西はそうたいして差はない。むしろ北に位置するヤマトの方が温度が高い場合がある。むちろん温度が近似だといっても暑さの質が違う。都会の夏はビルからのエアコンの廃熱などで、逃げ場のない暑さとなる。関西から南の奄美に「避暑」に行きたいほどだ。シマには冷房が効いた室内だけでなく、ガジュマルの樹下などで休むという避暑の選択がある。そこには顔なじみのシマの人たちが集う。神戸でも長田にはそうした毎日奄美出身者がつどう公園があり、シマグチが交わされている。そこにはゆったりとした時間が流れている。そうしたシマの日陰に休もうにも暑い。この句「風足りぬ」としたところに作者の感性が煌めいている。

                 

                05/白南風の大海原をカツオ船  嘉ひろみ
                かつて隆盛をきわめた奄美のカツオ漁。大正時代をビークとしてシマごとに漁船団を組んでカツオ漁に取り組み、シマは活況を呈した。その漁の取り組みもシマごとの性格がよく現れていたと宇検村平田集落の人から聴いたことがある。また同村西古見集落ではカツオ船がさかんであり、カツオ節の工場も稼働して、シマが随分潤ったらしいが、何度か漁船の遭難事故が起きている。このシマのノロは海上祈願をしていたと聞く。この句、いまは数少なくなったカツオ船のことを作品にしたと思われるが、奄美漁業の栄枯盛衰が句の背景にほの見えてくる。白南風の季語を使った今月の句として〈白南風や出船入船水脈挽きて 森美佐子〉〈白南風や千年松を語り継ぐ 中川惠子〉も良い。

                | 今月の特選奄美俳句5選 | 09:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
                18.06月の特選奄美俳句5選No.33/2018.06
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                  2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の33回目です。
                  奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                   

                  〈2018年6月の奄美俳句五選〉

                  01/父の日や遺影は特別攻撃機                    内野紀子


                  02/梅雨晴れや飛沫上げゆく巡視船              宮山和代


                  03/気まぐれの雨の滂沱(ぼうだ)や青嵐     浜手増美


                  04/紙魚こぼる芳朗詩集初版本                    吉玉道子


                  05/母の盛る油ソーメン田植時                     榊 秀樹

                   

                  〈評〉

                  01/父の日や遺影は特別攻撃機  内野紀子
                  先の大戦では、喜界島の上空で旧日本軍と米軍の戦闘機の空中戦が行われたり、沖永良部上空でも両軍の戦闘機が遭遇したりと、奄美上空もまた激しい戦場となっていた。特攻機は空の戦闘機が突出して有名となっているが、海の特攻艇も多かった。島尾敏雄が加計呂麻島・呑之浦集落で隊長を務めていた「震洋」はベニヤ製の特攻艇。奄美群島にいくつかの特攻基地が儲けられていた。父・大橋彦左衛門が敗戦間際まで訓練していた小型潜水艦「蛟竜」は魚雷を発射する機能つきだったので魚雷そのものを運航する「人間魚雷回天」よりすこしだけマシだが、帰艦は補償されなかった。父の世代(大正生まれ)は迫り来る戦況の悪化によって長生きできるとは思っていなかったと証言していた。島尾も覚悟はできていただろう。この句、父の遺影が特別攻撃機なのだから、島尾や父と一緒で、死ぬことを運命づけられた世代に属するのだろう。「大正生まれの我々は、明治生まれの者たちが起こした戦争の犠牲にされたのだ」とどこかのオーラルヒストリーで聞き及んだことがある。

                   

                  02/梅雨晴れや飛沫上げゆく巡視船  宮山和代
                  21世紀の今となって東シナ海が蠢いている。隣国の中国との摩擦によって、この海域の両国におけるつばぜり合いが頻繁におこるようになった。このため奄美・沖縄の海域を担当する巡視船も増船された。この巡視船、ひどい荒海でも航行が可能らしく、高い性能を誇る。かつ巡視船という性格上、武力を行使するための装置も付帯している。紛争がつづく海域に海上自衛艦を繰り出せば一挙に軍事的緊張に発展するが、「軍隊以下/半武力艇」の巡視船の出番となる。この句、巡視船の雄々しい姿を作品化している。それもまた現実だろう。余談だが、かつて奄美が米軍政下にあった時のこと。「みちしお」という名前の巡視船があり、それを屋号にした沖永良部のユタがいた。

                   

                  03/気まぐれの雨の滂沱(ぼうだ)や青嵐  浜手増美
                  滂沱と降る雨という表現そのものが文学的である。はげしい雨なのだが、滂沱という表現の中になすすべもないやるせなさが込められている。おそらく降り出した雨が大雨となり、嵐(青嵐)と表現するほどにひどくなってしまったのだろう。〈荒梅雨に濡れさけびたき日もありき 野山詩音〉は俳句文芸では珍しい私情を表出した作品。〈島の梅雨まぶしき白やコンロンカ 奥直哉〉はレイニーシーズン(梅雨)であることを謳った作品。

                   

                  04/紙魚こぼる芳朗詩集初版本  吉玉道子
                  私も『泉芳朗詩集』の初版本を持っている。いまは南方新社によって新装本が出版されている。徳之島伊仙町面縄集落のこの詩人は、詩人という枠をこえて、奄美の復帰運動の中心的人物であり、復帰に大きく貢献した人である。詩人としては抒情的な詩風を書き続けた人で、奄美のひとたちに深く愛されている。とくに復帰運動の最中に書いた作品は、詩人に対して要求されているその詩人が所属する共同体の深層心理を言語化・作品化するという役割をよく認識して、ひとびとの共通感覚を詩作品として表出していた。詩人というのは詩集というメディアでいつでもシマの人たちに回顧され、その文学的営為が反復されるのだ。紙魚もまたその初版本とともに生きてきた作者の勲章なのだろう。

                   

                  05/母の盛る油ソーメン田植時  榊秀樹
                  いま黍刈りはハーベストという刈り取り機が普及しているので、かつてのように人力による黍刈りの光景は少なくなったがなくなったわけではない。人力での黍刈りはシマの「結い」の機能が発揮され、働いた人たちには油ソーメンが振る舞われた。いまはカップ麺に変っていると聞く。しかしこの句は黍刈りではなく田植えなのである。奄美にもかつては水田が多くみられたが、1970年からはじまる全国的な減反政策(米作の生産調整)などによって、減ってしまった(奄美の人たちの間では政府から鹿児島県にあてがわれた生産調整額を達成するために奄美群島がターゲットにされたと聞いたことがあるが確証はない)。このような情勢を考えると田植時に油ソーメンを食べたというのはいつ頃のことなのだろうか。

                   

                  | 今月の特選奄美俳句5選 | 09:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  18.05月の特選奄美俳句5選No.32/2018.05
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                    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の32回目です。
                    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                     

                    〈2018年5月の奄美俳句五選〉
                    01/野いばらの棘柔らかし聖五月         向井エツ子


                    02/薫風や深き入江の文学碑               宮山和代


                    03/そら豆の日向へ倒るる如くなり      中村緑子


                    04/梅雨しとど女二の腕冷え易し         吉玉道子


                    05/夕暮れの風の重さや梅雨兆す         福山勇人

                     

                    〈評〉

                    01/野いばらの棘柔らかし聖五月  向井エツ子
                    奄美の俳句を読んでいるとふと出てくるのが、キリスト教の祈りの世界である。しかもそれはカトリックの世界なのである。奄美大島には主に二つのカトリック教会の系譜がある。バチカンに直結する鹿児島教区の教会(名瀬聖心教会)とコンベンツァル・フランシスコ修道会(マリア教会ほか多数)に所属する教会群がある(他の奄美の島のカトリックの事情は異なる)。わたしが通っていた兵庫県西宮市のカトリック系私立小学校はたまたま奄美と一緒のコンベンツァル・フランシスコ修道会が運営していた。「聖五月」とは聖母マリアと深い関係がある。プロテスタントと異なりカトリックは聖母マリアへの信仰が篤いことで差異化される(カトリック王国のスペインのアンダルシーアに行くとここは息子のキリスト教ではなく、母のマリア教ではないかと錯覚してしうほどだ)。この句も「野いばらの棘柔らかし」とあるように聖母マリアのイメージにあったやさしく万物を包み込む母性が謳われている。ほかに季語「聖五月」を使った句に〈透き通るボーイソプラノ聖五月 惠ひろと〉

                     

                    02/薫風や深き入江の文学碑  宮山和代
                    「深き入江の文学碑」といえば、加計呂麻島呑之浦集落にある島尾敏雄文学碑であろう。島尾にとってそこは、戦争さえなければ、古代の古事記の世界を彷彿とさせる静謐な場所だったのだ。わたしも訪れたことがあるが、ここが特攻艇の基地であるなんて信じられなかった程だ。加計呂麻島は他にもいくつか特攻艇の発信基地を始めとして、旧日本軍の基地が構築されていて、軍事的拠点としては重要な場所であった。奄美大島と加計呂麻島との間の大島海峡はかつて旧日本海軍の連合艦隊がすべて停留できたと伝えられている(薩川湾にすべて収まったという人もいるが)。そうした元基地跡にそよと吹く風。自然は戦時中もそよと風が吹いたのだろうが、島尾という筆記者(書く人/表現する人)がそこに存在したということで、場所はことなる意味性を付与されるのだ。文学そして文学者がその場に刻印することの意味の深さを想ってしまう。

                     

                    03/そら豆の日向へ倒るる如くなり  中村緑子
                    この句、「の」の効用に注目しよう。「そら豆が」と書いてもいいのだけれど、そう書くと句が説明的になる。この句のたくみなところは、俳句における「の」の汎用的性格をうまく使っていることだ。「そら豆や」と上五で切ってもいいのだが、そうすると中七と下五の二つと切り離されてしまい、句としての一体性がなくなり途切れてしまう。直線的な流れを創出したい時には「が」でなく「や」でもない「の」を置くことで句がスムーズに流れていく。こうした意味で「の」は切れ字のような要素もありながら上五・中七・下五の一体性を強調したい時に活用できる。豆について語ってみよう。豆がでてくる奄美の歌謡でまず思い出すのが、沖永良部島に伝わる「畑(はる)の打(うち)豆(まみ)」である。ひとふしだけ紹介しておく。「畑(はる)の打(うち)豆(まみ)いぢよ/車棒に巻かるよ ヌガヤルヤル/イチリヌヨイシ シタリヌヨイシ/打ちまくてぃ うちゃぬちよ/豆(まみ)がなし 私(わたみ)よ ヌガヤルヤル/イチリヌヨイシ シタリヌヨイシ」(『沖永良部島・国頭の島唄』シーサーファーム音楽出版)ハヤシの部分が勢いがある。おそらくイト(仕事唄)のひとつなのだろう。いかにも働き者の島のシマウタである。

                     

                    04/梅雨しとど女二の腕冷え易し  吉玉道子
                    梅雨時の身体の様子がリアリティをもって表現されている。「しど」が効いている。働き者の女性であるのに違いない。わたしの母も働き者だった。大正生まれだったので、戦後になって家庭内でつぎづきと電化製品が普及していくさまを便利だと感じていたのにちがいなかったが、病身であったにもかかわらず毎日手を抜くことなく家事に勤しんだ。女の二の腕が冷えたり、太くなったりするのは、働き者のしるしなのである。二の腕という身体にしっかりと梅雨という季節をうけとめる女性の生のたしかなありようが句に現出されている。

                     

                    05/夕暮れの風の重さや梅雨兆す  福山勇人
                    風を重いとする表現にせまってみよう。わたしも詩を書く時、風をよく詠む。しかしその風は立ち止まったり、固形化したものであったり、昨日の風だったり、意思を持ったりする。風が重い軽いという表現は思いつかなかった。奄美の日常に生きていると、都会では感受できない自然のさまざまなものが、計量化されたりして形象化される対象となるのだろう。もちろん透明な風が重いと感じるのは詩人的感受性がなければなしえないことである。重い風、それは風そのもののことであるし、風を風たらしている天象(雲、雨、照度、湿気、風を受け止める樹木のゆらぎ、鳥たちのいつもと異なる鳴き声)との関係性も考えてみたい。〈梅雨間近風の重さを肌に受く 中吉頼子〉も風の重量を作品に呼び込んでいる。

                    | 今月の特選奄美俳句5選 | 08:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    18.04月の特選奄美俳句5選No.31/2018.04
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                      2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の31回目です。
                      奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                       

                      〈2018年4月の奄美俳句五選〉

                      01/をちこちと位置定まらず蝶の昼         福永加代子


                      02/風光る海の匂ひの貝ひとつ               山野尚


                      03/バレイショ掘り家路に遅き畠ばかり   和学歩


                      04/春寒や豆むく指の太さかな               中村緑子


                      05/春の畑夫と卒農決めにけり               春のボタン

                       

                      〈評〉

                      01/をちこちと位置定まらず蝶の昼 福永加代子
                      「あちこち」を意味する「をちこち」。オノマトペのような響きがいい。たしかに蝶の飛び方は目が回るのではないかとこちらが心配するほど上下・左右に激しく揺れる。ただ黒揚羽やオオムラサキといった種類の蝶はグライダーのように滑空するように飛ぶ。そういえば奄美では蝶は「ハベラ」(地域によってさまざまな呼び名がある)。たしか蝶と蛾の区別は本土ほど峻別されていないと聞いたことがある。奄美・沖縄の蝶愛好者の楽しみは、はるか北方のヤマトから渡海してくるアサギマダラであるし、台風のあと、風に乗ってやってくる迷蝶を見出すことである。

                       

                      02/風光る海の匂ひの貝ひとつ  山野尚
                      神戸も奄美も臨海の土地柄なのだが、神戸の人間が日常的に海そのものに接する機会は多くない。もちろん須磨や塩屋、舞子といった海に近接しているところは、意識しなくても毎日海と臨場的に接している。あるいはそうした神戸市西部ではないところでは六甲山系に近い山手にいけばそこから南を遠望すれぱ市街地の向こうに海が広くたゆたっていることを実感する。視覚的な海はこうして近かった遠かったりするのだが、匂い=嗅覚で海を感じるときがある。潮の匂いのする海風が南から市街地にふきつける時だ。この句、春の海の変化をよく捉えている。冬の海では感じなかった海面に反射する光、匂いも冬の間沈黙していたのではないだろうかと思うほど感じなかったが、貝から漂う海の香り。神戸と奄美、海に隣接している土地柄は共通していても、海を実感するチャンネルの違いを知る。

                       

                      03/バレイショ掘り家路に遅き畠ばかり  和学歩
                      沖永良部島と徳之島からこの時期になるとヤマトに向けて馬鈴薯が出荷されるため、港湾における出荷作業が多忙となる。この馬鈴薯もその時々の市場の原理によって価格が決定されるので生産農家にとって気になるところである。これら両島で作られる馬鈴薯は関西という大きな消費地にとって今年出来たての新モノとなる。奄美産が売れきれると次は鹿児島本土、長崎県産の馬鈴薯がスーパーの店頭にならぶ。この句、馬鈴薯を畑から収穫して家に帰ろうとすると、遅くなってしまったというのが句意なのだろう。「家路に遅き畠ばかり」という直接的ではない表現が句を面白くさせている。

                       

                      04/春寒や豆むく指の太さかな  中村緑子
                      犒吻瓩見えてくる句である。この犒吻瓩箸六覲佚に句意が把握できること、自分の体験に照らし合わせて既視感を感じられること、といったことを実感できる作品といえよう。切れ字「や」を多用しすぎると、詩として屹立すべきところが、詠嘆の記号である切れ字によって俳句的な叙情性に回収されてしまい作品が平板になる恐れがある。切れ字は有季定型俳句にとって重要な語法のひとつなのだが、はたしてこの句に切れ字を使うべきかどうか最後まで選択眼を働かせてほしい。季節は春。〈春景や草喰むヤギの一人占め 衣香〉〈海風とそそぐ光につつじ燃ゆ 益岡利子〉といった句はこの季節ならでは。〈春風や藍染の色ふくらませ 中山好風〉〈染色の家業百年春の水 惠ひろと〉の句も心に残る。

                       

                      05/春の畑夫と卒農決めにけり  春のボタン
                      農業という職種には定年がない。奄美では100歳をこえても毎日畑にでる人がいる。この句は「卒農」と書く。どこか寂しい響きがある。生産農家として換金作物をつくることをやめることを言うのか、それとも自宅近くの畑に出ることも含めて農作業をやめてしまうのか、都会に住んでいる者にとって、この「卒農」という表現だけでは実感として判断ができない。なにせ神戸市街区に住んでいると日常的に田畑を見ることは皆無であり、とうぜん農に生きる人も身近にいない。この句「春の畑」というのも注目しよう。春だとまだ植え付ける作物は多く、生育するまで時間がかかる。その植え付け自体もやめてしまおうと言うことなのか。この他春を感じる句として〈春の陽を分け合う討論する二人 重武妙〉〈春風や藍染の色ふくらませ 中山好風〉など。

                      | 今月の特選奄美俳句5選 | 08:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
                      18.03月の特選奄美俳句5選No.30/2018.03
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                        2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の30回目です。
                        奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                         

                        〈2018年3月の奄美俳句五選〉

                        01/屈(かが)みみて寄り流木に春深し    奥 直哉


                        02/春日やすり這ひの稚児探検家               平井朋代


                        03/霾(つちふる)や記憶の中にある生家   吉玉道子


                        04/春の午後野原にはなびく牛の声            川間佳俊


                        05/磯風をほどよくまとふ弥生かな          向井エツ子

                         

                        〈評〉

                        01/屈(かが)みみて寄り流木に春深し 奥直哉
                        海岸に流れ着くものを「寄りもの」という。形が奇矯なものであれば「寄り神」あるいは「漂着神」との位置に祗り挙げられる。かつて奄美の海岸でさまざまなものを見た記憶がある。その中には山羊の白骨屍体というのもあった。海からの漂着物を大切にし、時には神体にもなる。海辺は此界と彼界との接点となる。わたしは海辺にある石を集めるのが好きで、「むちゃ加那」伝承がある奄美大島住用村・青久集落の浜辺で拾った形の良い楕円形の丸石を、毎日のパソコンがある作業台に置いている。分厚い本をあけたままにする時に程よい大きさと重量なのである。しかしこうし石拾いをみていた奄美の友人は忠告する。「石はそこにあるのはなにかの必然があるのだから持ち出してはダメ」。説得力のある言葉である。なるほどと関心した。こうして奄美のひとびとは石ひとつにも自然との関係性と敬神の感情を惹起させるのである。この句、そうした奄美の人たちの自然に対する畏敬の感情がよく現れている。

                         

                        02/春日やすり這ひの稚児探検家 平井朋代
                        これは珍しい。五・五・七の構成になっている。俳句の定型は五・七・五で構成されるのがもっぱらである。しかしこの五・五・七の文字配列であっても有季定型の必須条件のひとつである十七音字を守っているので良しとすべきだろう(結社やその主宰者によってあくまで俳句は五・五・七でなければならないと主張する方もいらっしゃるだろうが)。俳句はいくつかの規範によって成り立っていて、それを守るかどうかはその俳人の詩的感性にゆだねられるべきなのだが、大半の俳人たちの結社に所属しているので、その結社内で確立された不文律を守っていくのもまた大切な営為なのである。こうした俳人たちの「常識」を踏まえた上でもなお俳句は詩として自由であるべきだと唱えるタイプの俳人グループが存在する(私もそのグループの一員である)。この句、子供たちの躍動感がリアルに伝わってくる。句のリズムもいいので、その良さをもって作品を観賞してもむいい。

                         

                        03/霾(つちふる)や記憶の中にある生家 吉玉道子
                        私の友人にこの「霾」という漢字を詩集のタイトルに選んだ人がいる。画数が多く、とても一回では覚えきれず書ききれない漢字である。季語であり季節は春。ときに奄美に激しくふりそそぐ黄砂が降ってくる。視界をさえぎるほどに激しいときもあり、空港は閉鎖。飛行機も飛ばなくこともある。晴れているのに外界そのものが黄ばんで見え、ある意味幻想的な光景が現出する。つまり時空が停止して、過去にワープすることも踏み出した先がまったく異なる場所であったりすることもありうるのだ。こうした幻想的光景の中でこそ、「記憶の中にある生家」がふと現出することもありうるだろう。今月はこのほかにも春という季節ゆえにおぼろな環境と心境となるためか現実と現実でないものの境が溶化する作品が見られる。引用してみよう。〈浅黄斑舞ふ幽玄の森深し 庵崎京子〉〈けぶりつつ雫となりし春の雨 中村恵美子〉〈母の忌の厨に白蝶まつわりぬ 登山磯乃〉

                         

                        04/春の午後野原にはなびく牛の声 川間佳俊
                        今年一月のことである。沖永良部島から徳之島へ船で向かう時、和牛の子牛がゲージに入れられて本土へ出荷されるのを待っていた。これから本土の肥育農家にひきとられ良質な肉用牛として育てられるのだ。中には霜降り・サシ入り「KOBE BEEF」になる牛もいることだろう。同船した沖永良部の友人によると少し前、島の子牛が一頭百万円で落札されたらしいと驚いていた(農林水産省の「食料・農業・農村政策審議会」による黒毛和牛の平成三〇年度「保証基準価格」は三四一、〇〇〇円なのでその落札金額の高さが納得される)。モオーという牛たちの泣き声を聞くことはシマでは珍しいことではない。それでも春に向かう季節のうつろいの中で陽や風が変化していくさまのなかで、牛たちの鳴き声も変って聞こえるに違いない。

                         

                        05/磯風をほどよくまとふ弥生かな 向井エツ子
                        この句、俳句という文芸が持つ特性のひとつをよく現している。というのはこの句を構成する「磯風」「まとふ」「弥生」という三つの語彙には、俳句作家の五感が介在していない(「ほどよく」が主観的表現である)。つまりこの三つの言葉は「磯風=海からの風という現象」「まとふ=あるものがあるものを包摂するという物理現象」「弥生=季節のうつろいのなかで人為的に区切られたとある季節」によって構成されていることがわかる。つまりこの句は物象(モノ)が物象(モノ)を詠っているということになる。俳句は物象同士の現象を詠う文芸でもある。もちろんその物象同士の現象を感得する詩人としての感性があってこそエクリチュールとしての文芸が成り立ち、五・七・五という字数に凝縮した作品世界が成立するのである。〈えらぶゆり漂ふ香り風にのり 東ハナ子〉の句も物象(モノ)同士の会話である。

                         

                         

                        | 今月の特選奄美俳句5選 | 08:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
                        18.02月の特選奄美俳句5選No.29/2018.02
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                          2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の29回目です。
                          奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                           

                          〈2018年2月の奄美俳句五選〉

                          01/越山の影海入りて冬茜                           未央


                          02/島山の淡き陽を受け木々芽吹く               島袋京子


                          03/相打ちて白竜となる寒の濤                     庵崎京子


                          04/皓々や極める青に寒の月                        窪田富美子


                          05/大海(おおわた)の風にゆだねる浜大根   浜手増美

                           

                          〈評〉

                          01/越山の影海入りて冬茜  未央
                          奄美大島はけわしい山が島のいたるところにそびえ立っている。昔は隣りのシマに行くのにも峠を超えていかねばならず、板付け舟に乗っていった方が至便であることが多かった(かつてのウタシャはヨソジマに唄あしびに向かう時、板付け舟に乗って往来したと聞く)。冬は影がながくなり奄美の山々の影が海に差し込んでいるという光景。この季節の昼は短い。午後三時すぎると陽が傾いて夕刻の気配になっている。そうした一日の陽の終わりと対照的な茜色の空。鈍色の山と影と茜色との対比も効いている。〈雲間より今日を惜しむか冬茜 衣香〉もまた冬茜を詠っている。

                           

                          02/島山の淡き陽を受け木々芽吹く  島袋京子
                          常緑樹が多い奄美の山々。冬でもしっかりと葉を残し次なる季節を待っている。常緑樹と落葉樹が混在し、冬には枯れ木のようになってしまう樹木をも見る関西地域とは、山も街路樹もその様相が異なる。しかしいずれも芽吹きの春を迎えることは同じで、冬の間にも蕾がすこしずつ膨らみ春の到来をすこしずつ可視化している樹木もある。季節のうつろいは確実に進行していく。そのかすかな変化を見届けるのも俳人としての感性の発露なのである。

                           

                          03/相打ちて白竜となる寒の濤  庵崎京子
                          冬の海についての句である。わたしの実家は神戸市西部の塩屋という海と山が近接している場所で、奄美大島の地形によく似ている。この地区で六甲山系は果てて、ここから西は播磨平野へ続いていく。高校一年のときに引っ越しして毎日塩屋の海を眺めていた。海は毎日変化するのだが、光に満たされた夏の海より、陽が弱くなった冬の海の方が色彩が豊かになっていることを知った。見ていた海は内海の大阪湾なので波静かである。奄美と違うところはサンゴ礁がないので、サンゴ礁という緩衝地帯は存在しないということ。徳之島の民俗・歴史学研究者の松山光秀氏はこのサンゴ礁(コーラル)が、奄美を含めた琉球弧には住むひとたちの文化や民俗を育んできたのだと気づき、琉球弧は「コーラル文化圏」であると主張している(松山光秀著『徳之島の民俗2』未来社、2004)。さてこの句、冬のたけだけしい荒れた模様を「相打ちて白竜となる」との巧みな表現で言い表している。白波が白波と交雑しながら荒れ狂う冬の海。こんな天気の時に鹿児島に向かう船に乗ったら大変な目に遭う。

                           

                          04/皓々や極める青に寒の月  窪田富美子
                          「皓々」は彩度のたかい明るい色彩のイメージを表現するとともに清らかさを表現している。その「皓々」が青に近づく時、かたわらに「寒の月」がある。「青」と簡潔に表現する語法も凛としている。いかにも冬に展開していそうな光景をよく俳句作品に昇華させている。今月は冬という季節にまなざしをむけた作品のいくつかに出会った。〈冬あかね見つつ帰るも途中まで 和学歩〉〈雲間より今日を惜しむか冬茜 衣香〉〈寒雀老の余白をホホ笑ふ 窪田セツ〉私見になるが、わたしは冬という季節を好んでいる。文芸作品を創出するときに想像力が湧くからである。春を待望しているわけではない、奄美とちがって雪に閉ざされた地域に住んでいるからでもない(神戸も年に数度積雪をみる程度。それも昼になると大方溶けている)。冬はどうしても身心がくぐもりがちになる。そのくぐもりが、俳句や詩を創出するときの起爆剤になるのである。

                           

                          05/大海(おおわた)の風にゆだねる浜大根  浜手増美
                          海と浜大根を一句の中に同居させている巧さ。しかも海を「大海(おおわた)」としている。たしかに奄美群島は海に囲まれている。空路にしろ航路にしろ奄美へは海を経由しなければ到達できない。また生活に必要な物資もまた海を経由する。おなじ臨海の神戸と違うところだ(でも奄美と神戸は海でつながっている)。どうしても奄美の方が海との近接度は高い。そして海からの影響と恵みの深さも実感していることだろう。奄美の俳人たちが海を想う時、それは自分たちの身体が延長されたもの、いや身体=存在に内在化された事象であるのに違いない。奄美は海と共に生き、海とともに呼吸するのである。そうした感覚を日常的にとぎすましているので、海を詠う句も豊穣なのだろう。今月の句に海に関する句として〈流木の白く横たふ余寒かな 向井セツ子〉

                          | 今月の特選奄美俳句5選 | 08:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
                          18.01月の特選奄美俳句5選No.28/2018.01
                          0

                            2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。
                            奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された
                            1月31日から2月2日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらん
                            でいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)


                            〈2018年1月の奄美俳句五選〉

                            01/一決の平成たたむ四方拝               窪田富美子

                            02/島に生(あ)れ島に育ちて去年今年  坂江直子

                            03/東シナ海踏まえて大き冬の虹         吉玉道子 

                            04/初日記書きたるほかなに用もなし       和学歩 

                            05/初日の出ぬっと灯台アダン林           中村緑子 


                            〈評〉

                            01/一決の平成たたむ四方拝  窪田富美子
                            「一決」の表現が面白い。いさぎよく、あるいは、きっぱりと、との語意なのだろうか。今年は平成30年。この元号も来年4月で終わろうとしている(次の元号名は未発表。おそらくアルファベットでいえば最初の文字は〈K M T S H〉以外であろうと推察される)。東アジアの中華文化圏の諸国は、中国王朝の暦を使う事が多いなか、日本は自前の暦(元号)を持っていた(奄美はいつごろまで琉球王朝の暦を使っていたのだろう)。今回の世(ゆ)替わりの特色は、天皇の生存中に次の皇太子に王位を譲ろうとしていることである。歴代の天皇の中には花山天皇(968-1008)のように部下に騙されて出家=退位させられてしまった者もいる。花山院は退位後、勅撰和歌集『拾遺和歌集』を編纂したと伝えられ、文芸と隠遁の世界に生きた。さて、平成天皇が退位したあとは、「院政」を敷くのだろうか、それとも文化王として機能していくのだろうか。「四方拝」は元旦に行われる天皇神道の祭祀。「一決」は、この祭祀が行われる元旦という一年が始まるすがすがしさにもかけているのだろう。(ちなみに「四方拝」は天皇祭祀だけではなく、民間の信仰にも息づいている。大阪の香具波志神社近くの民家にも「四方拝」の札が貼られていて、家人が拝んでいたことを確認している)

                             

                            02/島に生(あ)れ島に育ちて去年今年  坂江直子
                            島、シマに生きることの覚悟がよく現れている。こうした句を若い世代がつくると句意がちがってくるだろう。年齢を重ねて作句してこそ、ずっとこの島・シマ社会に生きてきたことへの述懐と、自己肯定と、若干の自己満足とが入り混じった句境が呈示されることになる。奄美の俳人たちは、時折こうして島、シマに生きることの自己確認の作品を生み出していく。それほど島・シマを取り巻く生活環境は、自己が自己であることを日々のなかで追認していく、あるいは追認しやすい環境なのであろう。島・シマ、あるいはシマンチュの自己充足性を感得してしまう。

                             

                            03/東シナ海踏まえて大き冬の  吉玉道子
                            2018年が始まった。どんな一年になるのだろう。奄美にとって飛躍の年になることを願っている。この句、島の西に広がる東シナ海にかかる虹をみて、島を越えた空間領域を認識してその感動を句のなかに呼び込んでいる。一年の始まりは一年というブロックを越えて、時を重ねてゆく感慨にふけるものである。そうした句を集めてみた。〈人は逝き人は生まれて年新た 恵ひろと〉〈生まれ来て生きて生かされ福寿草 久松敬志〉

                             

                            04/初日記書きたるほかなに用もなし  和学歩
                            日記のことを書こう。島尾敏雄という作家は戦争中、加計呂麻島呑之浦集落に特攻艇「震洋」隊の隊長として赴任。戦時中も日記をしたため、終戦後、実家の神戸に復員してからも日記を書き綴っていた。終戦の年にはすでに加計呂麻島からミホが密航して神戸にたどり着いて敏雄と結婚している。敏雄は貿易業をいとなむ父のもとにあって家業をつかず学校教師をしていた。毎日職場にでかけるわけではないので家にいることも多い。家では小説を書くか本を読んでいた。多忙ではない敏雄が日々生きている実感として刻印していったのが日記であった。つまりこの句のように「書きたるほかなに用もなし」の日々も多かったのである。敏雄は毎日綴る日記が文学的営為であることは強く実感していた。また表現者にとって日記を書くことはいずれこの日記が読者を持つ、つまり不特定多数の読者が現れることを織り込み済みで書くことを前提にしている作家が多いだろう。日記もひとつの自らが産み出す文学作品のひとつであるのだ。当時の島尾宅は一階に父とその同居人の女性がいて、二階が島尾夫婦の居室だったようだ。敏雄は毎日綴る日記を隠すことなく置いていたので、妻ミホは夫のいない時にその日記を読んでいた。そして敏雄の言語化しない心情に接することがあり、時にその記述に反発して夫の日記に書き込むことがあった。敏雄はその書き込み以前に妻が自分の日記を読んでいることを知っていた。日記は文芸作品といいながらも、日々の実感をつづる場所である。他者性があるようで内語的な吐露もあったろう。敏雄はさにされている日記とはもうひとつ別の日記帳を用意していたという。これは現在のネット上のSNSで目的別にいくつかのサイトを持つ発想とよく似ている。

                             

                            05/初日の出ぬっと灯台アダン林  中村緑子
                            俳句文芸にとって正月を詠むことは歳時記の中でも独立した項目があるなど、重要なアイテムとなっている。年があらたまってなにかコトをなすたびにそりれは「初」をつけて一年という区切りを大切にするのである。今月の作品ではやはりこのあたらな年を迎えた喜びを作品にしたものが目立つ。引用してみよう。〈天(あま)つ日(ひ)の光り満ちたる大旦(おおあした) 榊原矩明〉〈鈴緒(すずお)振り海原背(せな)に初詣 衣香〉〈賀状絶へ友の便りの星光る 益岡利子〉〈壷仕立て小枝華やぐ去年今年 富山萬壽喜〉
                            正月の模様も時代と世代によって様相が異なる。いまのネット世代の若い世代にとって年賀状は52円もする高価なメディアとなる。新年の挨拶はLINEで「あけおめ(「あけましておめでとうございます」の略)」を送れば済んでしまう。年賀状を出すことは個人と会社にとって年に一回の挨拶以上の戦略的意味があるという価値観は通じなくなっている。時代はかわり、正月のありようも変化していく。

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                            | 今月の特選奄美俳句5選 | 09:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
                            17.12月の特選奄美俳句5選No.27/2017.12
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                              2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。
                              奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された
                              12月27日から12月29日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらん
                              でいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)


                              1.煙吐く製糖工場や冬景色     和学歩
                              2.こもれびの森に身を寄す冬の蝶   森美佐子
                              3.森閑と松の𣏓木に冬の月    榊原矩明
                              4.冬木立鳥語聞きつつ石畳      福永加代子
                              5.まがごとの多くは言わず冬の虹    重武妙

                               

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                              〈評〉

                              01/冬の奄美は農繁期である。年末から群島の主要作物のひとつサトウキビの収穫が始まる。そして一月に入ると、沖永良部島、徳之島ではバレイショの収穫・出荷が本格的になる。奄美は本土にくらべて私の体感温度からすると二か月早く春が訪れる。寒くても、マフラー、手袋は要らない。収穫したサトウキビは製糖工場に運ばれていく。工場は活気を呈し、工場のエントツから煙があがる。それをみているシマンチュは冬という季節を実感する。奄美ならではの季節感である。〈朝は北風(ニシ)ネット繕う農夫あり   山すみれ〉もこの季節の農作業を詠ったもの。バレイショ畑の周囲に風よけのネットを張るのである。これらの農作業は島の冬では日常光景になったものだが、俳句に取り込むことによって、映像(景)がはっきり浮かびあがってくる。

                               

                              02/凍蝶というのだろうか、冬を成虫のまま生き続ける蝶がいる。仲間同士、固まって好みの葉陰にぶら下がっている。食べるものさえ少ないのに違いない。そんな耐える姿を応援したくなる情が湧く。奄美ではリュウキュウアサギマダラの越冬が有名。この句、冬いう厳しい季節を耐えて生きる姿をよく描いている。奄美は冬でも咲く花は耐えない。だから生き延びるのかもしれない。〈野の小花地ぎわに群れて日向ぼこ     森山悦子〉といった句もある。

                               

                              03/松がれしてしまったリュウキュウマツを詠った句が冬に登場する。冬がくるたび、枯れてしまった松を確認するのだが、やはり哀感がただよう。その感情の吐露に冬の月をぶつけてイメージを重層化している。こうした哀感を強調することによって、作者の冬に向かう心のありようが、際立つという効果が生まれるのである。〈一点の島に集まる冬の浪   緑沢克彦〉は鳥瞰的な視座から冬の奄美を詠んだもの。奄美にかぎらず冬という季節は俳人たちの想像力を喚起するのである。 

                               

                              04/鳥の声を言葉として聞き分けることができたら、どんな素晴らしいことだろう。遠く東欧・ポーランドにいるジプシーたちは、鳥たちの声から、いくつかの物語を聞くことができて、それを昔話として子どもたちに継承している(『太陽の木の枝〜ジプシーのむかしばなし』フィツォフスキ著)。奄美の人たちはどのような鳥語を聞き分けているのだろう。それも冬という季節に鳥語を聴こうとするのは、冷えた空気のなかであるからこそ聞き取れることができるのだろうか。 

                               

                              05/「よけいなことは言わず、ありのままに、なすがままに、生きていよう」といったふと思ったことを句に成型すると、こうした作品になるのだろう。「冬の虹」という季語の選択も悪くない。〈冬帝やよろず意のまま傅(かしず)かせ      窪田富美子〉も、冬という季節で生まれた句なのかもしれない。この季節、寒さから自衛する必然から、どうしても自分の身体そのものを防護するために、自分(あるいは私)というものを自覚する機会が多くなることで、句もまた、自己そのものを見つめるキッカケが多くなるのかもしれない。冬とはそんな季節なのだ。 

                               

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                              | 今月の特選奄美俳句5選 | 08:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
                              17.11月の特選奄美俳句5選No.26/2017.11
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                                2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。
                                奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された 
                                11月30日から12月1日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらん 
                                でいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)


                                1.神無月あふれる母性鎮(しず)めけり 浜手増美
                                2.主なき庭に濡れてる石蕗の花  林美津代
                                3.十三夜月のしずくは盃の中     中川慶子
                                4.どの道も生き果ては海島芙蓉  金井由美子
                                5.御幸ぞ島沸き立ちて刺羽舞う 内野紀子



                                --------------------------------------------------------------------
                                〈評〉
                                01/いくつもの角度から読める句だ。奄美にはヤマトの出雲に行く神々はいなかった。この島嶼の神々はもっぱらシマに向き、南(首里)に向いていた。この句の「神無月」は11月の言い換えとして読もう。「あふれる母性」という表現が刺激的だ。母性を起動するキッカケがなにかあったのだ。しかもその母性を制御する必要があった。母性を発揮した対象はいつくしみかあるいは怒りだったのだろうか。この情念を発露したのが神がいない時、つまり自分やシマを支えてくれる霊性が欠落している月だというのだからおもしろい(こうした意味で、奄美では「神無月」は11月にかぎらず使えるのかもしれない)。

                                02/日本列島には廃屋や空き家が全国各地に数多くある。神戸という都会の住宅地である同市東灘区の拙宅周辺にも廃屋がある。瀬戸内の島をめぐっているとごく普通に廃屋に出会う。そうした家に人が住まないのはさまざまな理由があるだろう。この句のようにたとえ人が住んでいなくても、季節がくれば石蕗の花が咲くのである。その開花はかつてそこに住んでいた人の代理のようにも思えるし、シマあるいは近所のひとに対して挨拶しているようにも思える。「濡れてる」が叙情を醸しだしている。〈花ふよう尋ねる人なき狭き道  村田亜矢子〉も情感をそそる。

                                03/秋はしっとりする句が多くなるのかもしれない。満月(望月)ではなくあとすこし満ちるまで余韻を残している十三夜。このまだすこしの月からしたたる雫が、盃の中におちていく。物語性のある、かつ想像力を刺激してくれる句である。この句を肴にして一献かたむけたくなる。秋らしい句に〈鷹渡る生きぬく試練旅なかば  窪田富美子〉〈秋灯し福音句集愛あふる  向井エツ子〉も。

                                04/島に生きることの自明性と、シマで日常をすごすことの覚悟。奄美の俳句にはこうしたシマに生きる俳人たちの視線が句に深く反映している。この句も島にあるすべての道の行き果ては海だという。その当為のことを気付いている自分。その「発見」を句にすることでまたあらたにシマに生きる自分に覚醒する。その覚醒の道具とキッカケが俳句であり、作句なのだ。〈生業(なりわい)は土地に根をはる石蕗(つわ)の花 小川文雄〉

                                05/今上天皇夫婦が、沖永良部島と与論島を訪れたのは11月16日と17日の二日間。奄美群島を天皇が訪れるのは、先代の昭和天皇をふくめてこれで4回目。平成天皇は2019年4月末退位が決まっているがゆえに、二つの島民にとって想い出深い「行幸」になったことでしょう。天皇夫婦を迎える島民の上気した想いと奄美群島の今の季節で展開されているサシバの渡りに重ねて一句がつくられている。ほかに行幸に関して〈行幸啓島に歴史刻む秋  衣替〉の句も。歌人として卓越している美智子妃がこの訪問によってどのような作品が産み出されるのか注目したい。
                                 

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                                | 今月の特選奄美俳句5選 | 09:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
                                17.10月の特選奄美俳句5選No.25/2017.10
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                                  2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。
                                  奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された10月25日から10月27日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)


                                  1.子の墓へ野菊たづさふ夫と行く  宮山和代
                                  2.聖堂やカノンの調べ律の風  浜手増美
                                  3.天の川敏雄とミホへ降り注ぐ 緑沢克彦
                                  4.敏雄の忌生涯ミホは墨衣  梅崎京子
                                  5.エラブ島小雨の染みて西郷忌  和学歩


                                  --------------------------------------------------------------------
                                  〈評〉
                                  01/「逆さ仏」とも言うのだろう。親より子の方が早く死ぬ。哀しい事実である。墓参りも途切れなくしているのに違いない。墓に向かう道中に咲いていた野菊を手向けようとしている父である夫。もうこれだけの事実描写でなにも言葉を足すことはあるまい。都会に住む私は最近まで墓参りをほとんどしたことがなかった。数年前に神戸港をながめる高台にある母方の祖父の墓参りをした。三十三回忌だった。叔母がずっと墓守りをしてくれているので清楚な墓だった。私の姉が産まれた年に母の姉が死んだ。才媛だったと聞く。母は身重な身体で号泣した。姉を愛していたのである。その姉が墓参りしたその墓に眠っている。姉は結婚したものの子を産むことはなかった。墓は親族にとって雄弁な記憶のもとである。


                                  02/奄美俳句の特質のひとつにキリスト教の信仰と祈りの作品がみられるということである。わたしも幼少期はカトリックの強い影響下にある環境で育ったので、聖堂の高い天井と、教会内にひびきわたる賛美歌の圧倒的な調べに神々しさを感じたものだった。奄美は戦前に苛烈なカトリック弾圧があった歴史もあり、奄美のカトリック信者にはどこか強い芯が貫いているように思う。そして「律の風」とはいったいなんだろう。キリスト者が内在的にみずから課している道徳律のことだろうか。そうした精神的規範を風と重ね合わせたところに、この句の深みを感じる。 

                                  03/二〇一七年の奄美の文化ニュースといえば、奄美に永年住んだ作家・島尾敏雄の生誕百年を記念してさまざまなイベントがおこなわれたということだろう。イベントは主催者側の語りかけなら、こうした「なんかい文芸欄」にあらわれた作品群は、語りかけに対する応答(語り返し)であるといえよう。つまりシマンチュがどのように感じてその思いを俳句に託したかが如実に反映されているということである。また、作家・島尾についての語りは、敏雄・ミホ夫婦についての語りでもある。戦争中に加計呂麻島で巡り会ったこの二人はお互いの世界をぶつけあい摩擦させながらも、ひとつの物語世界を構築した。その二人に天の川が降り注ぐというのである。なんとも抒情的な作品。

                                  04/島尾ミホさんは、夫である作家・島尾敏雄を亡くしてから、ずっと墨衣(喪服)で過ごしていた。帽子も黒。ベール付き。わたしは思った。ミホさんは「敏雄とミホの物語」の中に生きておられたのだと。前の句が結婚前の若い二人を詠った作品なら、この句は敏雄が鹿児島で亡くなって奄美大島に引っ越して来たミホさんのありようを句にしている。あの墨衣の姿は強いインパクトを与えていた。〈敏雄の忌ミホは海辺に死を見つめ 寿山萠〉〈琉球弧は戦火の匂ひ敏雄の忌 作田セツヨ〉〈加計呂麻の浜変らねど敏雄の忌 登山磯乃〉なども印象に残る。


                                  05/来年(二〇一八年)の奄美は西郷隆盛についてのイベント、顕彰が盛んになるだろう。NHK大河ドラマで「西郷(せご)どん」が放映されることもあって、いまでも奄美は西郷隆盛に関する記事やイベントがおおく見受けられる。その西郷隆盛が西南戦争で亡くなったのが九月二四日。西郷忌である。西郷はなんどか奄美に遠島(島流し)されている。なかでも沖永良部では島のインテリ層と友誼をむすび、こうした人たちとの知の交換によって、「敬天愛人」が考え出されたと唱える人もいる(この他にも、奄美大島、徳之島でも西郷は足跡を残している)。西郷は奄美で敬愛されている(もちろん異論を唱えるひともいるが)。例えば〈西郷忌遺訓で育つ永良部島 石原かね〉。奄美の俳人にとって、西郷忌は季語としてこれからも定着していくのかもしれない。〈爺曳きて犬は我が道西郷忌 川間佳俊〉〈西郷忌文庫(ぶんこ)の杜(もり)に児(こ)等(ら)の笑(えみ) 山すみれ〉〉なども良い。
                                   

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                                  | 今月の特選奄美俳句5選 | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
                                  17.09月の特選奄美俳句5選No.24/2017.09
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                                    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。
                                    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された9月27日から9月29日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                                    1.零戦や片道飛行の赤蜻蛉  山すみれ
                                    2.クロトンの葉波駆け抜く風の艶  窪田セツ
                                    3.天界のざわめき痛む赤蜻蛉 浜手増美
                                    4.枕辺に句集繙(ひもと)く夜長かな 坂江直子
                                    5.生きるとはかくもせつなき蝉しぐれ 西のり子


                                    --------------------------------------------------------------------
                                    〈評〉
                                    01/戦争末期、多くの特攻機が鹿児島本土から飛び立ち沖縄をとり囲んでいた米艦船に向かって特攻攻撃が行われ、戦果とは別に米軍兵がいだく恐怖感はそうとうのものだったと聞く。この句には零戦が書かれているが、さまざまな種類の飛行機が特攻機として使われ、なかには「赤蜻蛉」といわれる練習機も使用されたと聞く(この句の赤蜻蛉はその事実を踏襲しているのかとせうかは不明)。奄美の上空は南下する特攻機が通過する場所であり、喜界島の上空では米軍機との空中戦が記録されたカラー動画もあるという。特攻機の中には機体の故障なとで引き返すものもあったそうだが、片道という表現が哀れを誘う。

                                    02/葉そのものが多彩な色をしてるので園芸品種として人気のクロトン。それの葉(波)を駆け抜けて行く風。奄美の俳人たちは風の描写が卓越している。生活の中で風を感じることが多いのだろう。植物を歌った句に〈鉢植エのススキ怪しみ通る人 赤塚嘉寛〉もおもしろい。

                                    03/この句にも赤蜻蛉が登場する。「天界のざわめき」とはなんだろう。俳句に時事を読み込むことは時にあるので、いま起っているなにかの出来事を句に呼び寄せているのかもしれない。いや時事でなくても「天界のざわめき」という表現は想像力を刺激してくれる。なにか人智をこえた異変が起りそう事態を作者は感知しているのかもしれない。そのざわめきを痛んでいるのは赤蜻蛉なのだろうか。天界という大きなスケールで起った出来事を赤蜻蛉という小なるものの感性が起動している。読みの多様性が楽しめる句である。

                                    04/俳句にまつわる俳句関連の作品というべきか。時たまこうした句集という書籍を素材にした作品に出会う。私も枕元に句集、詩集、評論集をあまたはべらせている。句集、詩集は一気に読むようにしている。俳句なら一冊の句集から二〇句選をする(苦労して二〇句集める場合もあるし、反対に二〇句ではたりない場合もある)。作者もきっと送られてくる句集を読みたいと思い、枕辺に置いているのだろう。俳人にとって一日の終りの至福な時間である。ただ、私の場合は句集、詩集を引き寄せてもほどなく眠ってしまう。今月、書籍に関する句に〈秋暑し恋の小説読み残す 原口ふみこ〉がある。

                                    05/しみじみとした人生の境涯を詠った作品。こうした作品はある程度人生の経験をつみかさねた人が語ると渋みと重みを増してくるものだ。「生きるとはかくもせつなき」という哀感と「蝉しぐれ」のかしましい音環境が対比をなしている。哀感といえば、〈お隣は住む人絶えて白むくげ(漢字に) 恵ひろこ〉もそう。いま全国レベルで人が住んでいない家が増えている。「住宅は住むための機械」とは建築家のル・コルビュジェの言葉。よく言い当てていて、住宅・家は人が住んでこそ機能するのである。そこに人がいなくなればいずれ廃屋になっていく。人は「朽ち」を哀感として享受することはできるが、住宅・家はそうはいかない。
                                     

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                                    | 今月の特選奄美俳句5選 | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
                                    17.08月の特選奄美俳句5選No.23/2017.08
                                    0

                                      2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。
                                      奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された8月30日から9月1日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)


                                      1.空蝉や弥勒菩薩も無い宇宙   山すみれ
                                      2.空腹を満たすは水のみ敗戦忌  重武妙
                                      3.明日採る苦瓜に目星つけにけり 森ノボタン
                                      4.ガジュマルの木陰に憩ふ夏吟行 向井エツ子
                                      5.爪紅をこすりままごと遊びかな 福永加代子


                                      --------------------------------------------------------------------
                                      〈評〉
                                      01/句境が深い。関心してしまった。空蝉はさまざまに思惟に刺激を与えてくれる素材だが、その空蝉と弥勒菩薩と対置させている着想の深さに感じ入ってしまった。弥勒菩薩(マイトレーヤ)は仏教における未来仏であり、ゴタータマシッダルータ(釈迦)の次に現れるといわれる救世主(メシア)のような存在である。もちろん未来仏だから現在も出現していない。空蝉という空虚(あるいは猝記瓠砲鬚覆めていて、そのありように弥勒菩薩も存在しない宇宙を想起してしまったのである。哲学的な読みもできる佳句である。

                                      02/沖縄本島ほどではないが奄美群島にも先の大戦では戦争被害があった。そしてなにより現代における戦争は国民を巻き込む総力戦のために、国民の一人ひとりの生活の中に、戦時中であることの我慢や忍耐が強いられる。奄美の島々は戦争の末期、自給体制のなかで生きることになり、沖縄方面から艦載機による攻撃にさらされることになる。そのようななかでで毎日を生きて行くのにも食糧がことかくありさまとなり、水を飲むしか空腹を満たすことはできない環境に追いやられていった。戦争とは食べるという生命を維持する最低限のことをも剥奪していくのである。戦争の句に〈叔父の背に足に爪痕敗戦忌 村田亜矢子〉〈戦世を生きのび老ひぬ敗戦忌 西のり子〉も。

                                      03/この句を読んですぐ思い起こしたのが、宇検村湯湾に住むウタシャ・石原久子さんの持ち歌である「きんかぶ節」である。「道ぬ端ぬ きんかぶぐゎ/来年(やね)も実(う)れよ きんかぶぐゎ/吾きゃが知ちゅりてぃ/採(む)りがきゃびろ(ヤマト口訳)道ばたに生えているきんかぶよ。来年も実れよ。私が覚えていて捥いであげよう」(JABARA-43「石原久子 うたぶくろ湯湾」ライナーノーツより)。この句もこの歌も人と自然からの贈り物に対する感謝の気持ちが表されている。明日と来年が待ち遠しいだろう。

                                      04/夏の吟行は強い日射にさらされてさぞつらいだろう。吟行は句材をもとめてともかく歩く文芸作業である。そんな時、大樹であるガジュマルの木陰は特筆すべきオアシスにも思えたのに違いない。この他にも夏の気配を詠んだ句として、〈木漏れ日に風一筋の盛夏かな 衣替〉〈海にいて大暑の風の匂ひけり 中村恵美子〉などは風を上手に歌い込んでいる。また夏という季節は人生を振り返る格好の季節なのかもしれない。〈夏旺ん誰も余生を生きてゐる 池田利美〉〈思うまま前むきとらへ海紅豆 窪田富美子〉〈浜木綿やこの地に生きる覚悟して 武田吉子〉といった句も注目した。

                                      05/ままごと遊びと書いているので「爪紅」はマニキュアではなくて、花弁を爪にこすりつけてマニキュアもどきにして女の子たちが遊んでいる様子を句にしたのであろう(かつてのマニキュアはそうだったらしい)。男の子には男の子なりの、そして女の子には女の子なりの同性でしか共有されない遊びがある。女の子たちは大人の女性の見立てを経験することで、すこしずつ少女を脱していく。
                                       

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                                      | 今月の特選奄美俳句5選 | 10:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
                                      17.07月の特選奄美俳句5選No.22/2017.07
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                                        2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。
                                        奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された7月26日から7月28日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                                        1.凉を呼ぶ三味の音(ね)島の浜辺かな  奥則子
                                        2.群青の空に一枝百日紅(さるすべり) 山すみれ
                                        3.海亀にニライカナイの道を問ふ  恵ひろと
                                        4.神の道白ハブの衣透けており 山野尚
                                        5.島唄のくるり裏声夏燕  久松敬志

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                                        〈評〉
                                        01/奄美の夏は長い。七月ともなると陽射しはきつくなり、おもわず浜辺で凉をもとめたくなる。そこに三味(サンシン)の音が聴こえてくる。おもえば贅沢な光景である。シマ(集落)の誰かが歌い出すと、ウタアシビが始まるかもしれない。シマウタは生活の一部であり爛淵哀汽甅瓩覆里澄ほか〈公園に凉を求めて唄あそび  金井百合子〉も奄美ならではのシマウタがらみの作品てせあると言えよう。

                                        02/「群青」と百日紅の花の赤の色の差異が見事である。奄美の夏は多彩な色に満ちている。生きとし生きるものが生き誇り咲き誇る季節でもある。奄美は海も空も広い。日常のなかで自然の中に住んでいることを実感することができる。ふたつの反色を対置することで雄弁に季節を記述する俳句の特性をよく活用している。ほかに「青」を詠った句に〈梅雨明くや海の煌き空の青  嘉ひろみ〉。


                                        03/おもわず句のあとの展開を聴きたくなるような秀句である。広い海域を回遊している海亀はひょっとして常世であるニライカナイへの道を知っているのかもしれない。奄美は海に閉ざされた島嶼ではなく、はて知れぬ海の向うの世界につながる拠点なのである。ヤマトの神話である古事記では山幸彦が兄の海幸彦に借りてなくしてしまった釣り針をみつけるために、海の道をたどって海を統べる神のもとにたどりついたという話が伝わっている。海の道はきっとあるのに違いない。

                                        04/「神の道」とは、集落(シマ)にある祭祀の際にノロら神官が使う道のことだろう。「神道(かみみち)」と呼ぶ場合もある。(わたしの住む神戸市東灘区にも式内社の保久良神社がある山から海(茅渟の海)に向かう細い一本の道があり、いまは祭祀としては使われていないが、神道(かみみち)であったろうと思われる)。シマの人たちならその小径の意味は充分に分かっていて、そこで見つけた白ハブは、神そのもの、もあるいは神の使いに見えたのだろう。シマの中にいまだ濃厚に残っている祭祀的環境があってこその作品である。

                                        05/奄美は歌謡の島である。なかでもシマウタ(島唄)はひとびとの生活の中に密着している民謡で、若いひとにもしっかり継承されている。その豊潤なうた世界は目を見張るものがある。また奄美群島のなかの奄美大島、喜界島のウタシャは見事に裏声(ファルセット)を使いこなす。すぐれたウタシャほどその裏声に変るさまは自然で無理がなく聴いていて耳心地がいい。その心地よさと、燕が高速で飛来しているさまと同居させているのがおもしろい。
                                         

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                                        | 今月の特選奄美俳句5選 | 10:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
                                        17.06月の特選奄美俳句5選No.21/2017.06
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                                          2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の20回目です。

                                          奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された6月28日から6月30日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                                           

                                          01. 山百合を手折(たお)りて指の匂いけり           宮山和代

                                           

                                          02. 日盛りに木陰に集いムンガタイ               島田香ほり 

                                           

                                          03. 川底に白雲沈め鮎走る                                                 中吉頼子     

                                           

                                          04. 水の星水の大八州(やしま)の冷奴                             久松敬志

                                           

                                          05. 百合玉や太陽(ティダ)の恵み島豊                             石原かね       

                                           

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                                          〈評〉

                                          01/百合は大振りな花を咲かせかつ香気に満ちている。奄美大島には自生している野生種がある。その百合を園芸種として商品として外国にまで輸出したのは沖永良部島のひとたちだった。この句では自生している山百合を摘んできて香りを楽しんでいる。作者の幸せな顔が思い浮かぶ。

                                           

                                          02/気の置けない隣人・友人たちと語り合っているその光景がよく見えてくる。「ムンガタイ」(物語りする)というシマグチが親近感を感じさせて良い。奄美はお年寄りが元気だが、シマ(集落)のひとびとが集まる場所で語り合っている。そういえば神戸市長田区にも島出身者が集う公園があり、ゆったりとした感じで語り合っている。いつもの場所、いつものメンバーであっても、話しは尽きないのだろう。こうした語り合いの場が奄美にもいくつもいくつもごく普通にあるというのは、ひとつの地域財産だろう。

                                           

                                          03/奄美の鮎といえばリュウキュウアユ。住用川のアユが最近個体数が増えて復活しているらしい。かつては当然だが食べていたという。このまま環境整備がつづくと、奄美でアユの塩焼きが食べることができるかもしれない(奄美におけるアユはどのように料理するのか知らないが)。この句、景がくっきりしていて見事である。透明度が高い川でないと川底に白い雲は映らない。この描写も卓越しているが、その清流をアユが泳ぎぬけるという表現が効いている。この作者の自然への愛情の深さが読み取れる。

                                           

                                          04/着想の大きな句である。「大八州(おおやしま)」とは日本の古称。(厳密に言えば、この中の八つの島の中には残念ながら奄美、沖縄は入っていない)。作者はその原義とは関係なく、地球というみずの星にある四面を海に囲まれている奄美を含む日本列島(大八州)という意味で使っているのだろう。下五が冷や奴というのもおもしろい。大きな地理を配置して最後は自分の目の前にある冷や奴をもってくる。句の着想が自在であるし、諧謔の精神にあふれている。爽快な作品だ。

                                           

                                           

                                          05/島の豊かさを詠っている。百合玉、つまり球根だろうか。太陽(ティダ)の恵みを一杯に浴びてその量感に思いを馳せる時、自然が島にもたらす恩恵を感受したのであろう。しかもこの百合玉は商品価値を産み出すものであるから、実利も伴っているに違いない。まさに豊かな島の恩恵であろう。

                                           

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                                          | 今月の特選奄美俳句5選 | 09:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
                                          17.05月の特選奄美俳句5選No.20/2017.05
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                                            2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の20回目です。

                                            奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された5月31日から6月2日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

                                             

                                            01. 黒薔薇り一際(ひときわ)映えて丘の上           平井朋代

                                             

                                            02. 春霖(しゅんりん)や畝(うね)に残る廃れ薯(いも)  内野紀子 

                                             

                                            03. そてつ咲く腹にものない美しさ                                     原口ふみこ     

                                             

                                            04. 赦免花雌花膨らみ紅を抱く                                       中川恵子

                                             

                                            05. 群青の色に染まらず飛魚や                                     小川文雄        

                                             

                                            --------------------------------------------------------------------

                                            〈評〉

                                            01/不思議で魅力的な光景を詠っている。「黒薔薇」という存在だけでひとつの緊張あふれる場が現出されている。それが植わっているのか、どこかの家に飾ってあるのか。この時期、地生えの薔薇が咲き誇る季節でもある。俳句はひとつの光景を提示することによって、その光景の背後にある記号性や、物語性を読者とともに想起させる「間テキスト性」的な文芸であると言える。想像力を喚起させる作品は佳句である。

                                             

                                            02/「菜種梅雨」とも言われる「春霖」。この時期は馬鈴薯の出荷も終わったころだろうか。二月あたりから神戸のスーパーには沖永良部、徳之島産の馬鈴薯が並ぶことになる。「廃れ薯」とは商品にならず畠にそのまま捨て置かれた馬鈴薯だろうか。出荷という畑地にとっての大事業の後に残っているものを見逃さず句にしたてる視線こそ、詩をなりたたせる歌詠みのまなざしであろう。叙情にみちた句世界である。

                                             

                                            03/一読しただけでは分かりにくい句である。二度三度と見直すと、句意が浮かび上がってくる。この「南海文芸」に掲載されている俳句にはいわゆる難解句はほとんどない。写生を基本とした明快な句世界が展開している。俳句は〈もの〉を描写することによって叙情をかもしだす文芸だが、この句のように「美しさ」という美称を招き寄せることもある。蘇鉄の花あるいは実(ナリ)のことなのだろうか。その美しさが「腹にものない」と対比されている。作者、思うところがあったのだろう。

                                             

                                            04/「赦免花」とは蘇鉄の花の異名。花が咲いて紅を抱くという。紅とはいったいなんだろう。ナリ(実)なのだろうか。「膨らみ」が艶っぽい表現になっている。蘇鉄はかつて救貧作物でもあった。「蘇鉄地獄」という表現と時代があり、蘇鉄の実どころか、蘇鉄そのものを食べるしかない追いつめられた飢餓状態に奄美は追いやられたことがある。そのナリもそのままでは食べられない。毒ぬきをしないと、中毒になってしまう。

                                             

                                            05/鮮やかな句である。海の色を群青と表現しているのが良い。その群青に染まった海に飛魚がとけこまず精一杯泳いでいる。群青の海も飛魚もいきいきとしている。生を謳歌している。奄美は島嶼世界である。海は身近であるが、日常生活の中に海の様子と、その海に生きる魚たちにまなざしをむけで作句するのはは、ひたすら俳人の感性である。こういう佳句を読むと、心のなかも群青にそまってさわやかになる。

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                                            | 今月の特選奄美俳句5選 | 08:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
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