18.10月の特選奄美俳句5選No.28/2018.10

  • 2018.11.05 Monday
  • 09:33

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の37
回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された五つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

〈今月から「なんかい文芸」に新しい俳句グループの作品が載るようになりました〉

 

〈2018年10月の奄美俳句五選〉

01/新北風のさらさら渡る琉球弧       緑沢克彦


02/停電に流れ星待つ君を待つ          野山詩音


03/たそがれの木もり柿一つ空屋敷    福永加代子


04/しんしんと秋雨ふらば君思ふ       えらぶ明


05/草相撲四本柱も塗り替へて           林

 

 

〈評〉

01/新北風のさらさら渡る琉球弧  緑沢克彦
奄美群島は、種子島、屋久島、トカラ列島からつづいて南は沖縄諸島、宮古・八重山と続く島嶼群の中に位置している。この島々のつらなりを「琉球弧」という名辞で内外に広めたのが島尾敏雄だった。島尾の狙いは、日本が大陸にむけた顔をもっぱら見せていることに対して、琉球弧と呼び替えることで太平洋のネシア群(ミクロネシアなど)のつらなりと同位相としてとらえることで、日本(あるいは日本国の一部)というこわばりから自己解放していこうとすることであった。その島尾の想いが奄美・沖縄・宮古・八重山のひとたちに迎え入れられた時、自分たちの島々を「琉球弧」と呼び習わすことで、自分たちの生活圏が日本本土にとっての「南島」ではなく、主体的にここに根ざして生きているのだという深い自覚が喚起したのである。その琉球弧の島嶼群とそこに住むひとびとを包含してさらさらと新北風が吹き抜ける。なんと壮大な句想なのだろう。

 

02/停電に流れ星待つ君を待つ     野山詩音
計画停電という言葉を知らなかった若いころ、インドを旅していた時、宿の電気の供給が突然とまった事態に右往左往した。カルチャーショックだった。1970年代の日本でもよほどのことがないかぎり停電などあり得なかった。インド旅は、安宿に泊まっていたので私は停電になると天井の扇風機が廻らなくなり暑くて眠れないのと、暗闇の中で寝ているとシラミの餌食になるので、部屋の外に出る。そこで同じく外で出ていた外国人観光客と下手な英語で会話する。私にとって停電は過去の想い出だが、台風がしばしば通過する奄美では停電は珍しいことではない。停電が長引けば冷蔵庫にある冷凍食品はとけてしまう。なるべく冷蔵庫の扉をあけないという知恵も働くだろう。話をかえよう。同じ停電といってもこの作品はこうした生活の瑣細なことを思っているのではなく、「流れ星待つ君を待つ」とロマンティックなのである。もとより電気が通じなかった日にはこうして夜空を眺めながら、愛する人のことを待ちわびたのだろう。わたしの好きな石原久子さんの「そばやど節」の一節を引用しよう。「朝別れだもそ かに苦(く)てさしやが(ハヤシ・スラヨイヨイー)かに苦てさしやが(ハヤシ・かに苦てさしやが)かに十日(とか)廿日(はちか) 抜(ぬ)きゃに廿日過ぎる(ハヤシ・抜きゃに廿日過ぎる)抜きゃに廿日過ぎる/朝(あさ)夕(ゆ)どれ鳴きゅる浜千鳥(はまちぢゅりや) 其(そう)の吾(わが)如(ぐと)な あてど鳴きゅる」(CD「日本の民族音楽〈南海の音楽奄美〉KICH2017」より引用)愛する人が十日も二十日も来てくれなくなるなんてどうして過ごせようかという歌意。石原久子の哀切きわまる「なつかしい」歌声で何度聞いても心に響く。

 

03/たそがれの木もり柿一つ空屋敷    福永加代子
日本国内の空き家率は13.5%(2015年住宅・土地統計調査調査)。年々空や家が増加している。私の住む神戸市東部では神戸・大阪の通勤通学圏内であり人気の住宅地なので、空き家を見つけるのに苦労するが、神戸も中心部からすこし離れた住宅地にいくと、空き家がぼつぼつと増えはじめ、瀬戸内の島々になると、朽ちるにまかせた空き家というより廃屋がひとつの集落内でかなりの数となる。空き家あるいは廃屋になったとしても、手入れしない庭木はそのまま大きくなっていく。果実を実らす樹木は空き家の存在を際立たせせる不思議な効果がある。果実は季節がめぐると人知れず実を結ぶ。柿も柑橘類もその鮮やかな色が主のいない敷地で泰然と実を結ぶ。この句、「木もり柿」が空屋敷の戸主のように立ちすくんでいる。柿が登場するのは〈全霊を脚立に叔母の柿ちぎり   和学歩〉一人であることを謳歌しつつ、家というのは住む人がいてこそ機能するのだとあらためて想う句〈台風や古屋で一人満喫す    中山好風〉。

 

04/しんしんと秋雨ふらば君思ふ   えらぶ明
秋とは、ひととひととの距離を考えて沈思する季節なのかもしれない。その一年のなかで冬・春・夏とうつろいゆく季節を生きて、ふと振り返ってあの人、この人のことをふと述懐したり、久し振り会ってみたい人の顔も思い浮かべることになる。いまはいない人を偲ぶという意味で俳句には忌日俳句というジャンルがある。今年になって忌日俳句が定着して作品数も多くなりそうなのは9月24日の西郷隆盛忌(南州忌)。NHK大河ドラマもいよいよ明治篇に突入して、中央政府を離れ鹿児島に帰ろうとする場面に移る。〈黒潮に研ぎ澄まされし西郷忌    永二てい女〉〈為すべきを終へて逝きたし西郷忌    森ノボタン〉愛加那を歌った句には〈愛加那に島の習いの針突(ハヅキ)あり   登山磯乃〉

 

05/草相撲四本柱も塗り替へて    林
奄美はいつから沖縄式の「組相撲」をやめてしまったのだろう。組相撲とは最初から力士が土俵上で組むことから始まる相撲のこと。かつてNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」(2013)で秀吉がしかけた長浜城での遊興の場面では組相撲が写し出されていたように記憶している。16世紀のヤマトでもこの組相撲が主流だったのだろうか。さて奄美の相撲の話に移ろう。いまでも奄美群島のシマジマ(集落)には土俵がしつらえているところが多い。この地ではいまでも相撲が生活・民俗の中に息づいていることの証拠である(なにしろケンムンも相撲が大好きなのだ)。〈押せ押せと祖父母声あげ草相撲    千代乃〉

18.09月の特選奄美俳句5選No.28/2018.09

  • 2018.10.05 Friday
  • 09:27

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の36回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

〈2018年9月の奄美俳句五選〉

01/島影へ秋思い伝えよ日暮雲             川間佳俊


02/台風禍離農してゆき若きひと          作田セツヨ

 
03/本茶みち三又に分かれ乱れ萩          小川文雄


04/チヂンの音掛け合う謳ひ秋の宵       平井朋代 


05/集落の生き字引なり生身魂             池田利美

 

 

〈評〉

01/島影へ秋思い伝えよ日暮雲  川間佳俊
秋という季節は、長く勢いのあった夏の太陽の勢いもかげり、影の濃さも変化が生じてくる。「秋思い伝えよ」との表現に感応した。詩的な呼びかけである。この表現に作者としての秋という季節、島という場所に生きる確かな生の実感を感じる。〈影連れて白き浜辺の良夜かな 榊原矩明〉もまた影を句に導き入れている。奄美の影はそれだけでひとつのペルソナを持つ。物理的な影、人と人の間に漂う影、そしてシマに生きる中で通奏低音のように存在する影。

 

02/台風禍離農してゆき若きひと  作田セツヨ
今年も多くの台風が奄美を通過していったが、とりわけ台風21号が大きな被害をもたらした。台風襲来は毎年のことであるが、被害にあった地域・ひと・ものは、被害の大小にかかわらず経済的負担がのしかかる。特に奄美にやってくる台風はヤマト(本土)に比べて勢力が強いままのものが多く、そのため被害も大きくなる。この句、せっかく奄美の基幹産業のひとつである農業に携わっていた若い生産農家が離農していくという寂しさと悲しみを詠っている。高齢化が進む農業就労者のなかで若い人がシマで農業に携わるのは、周辺の希望でもあったろう。それが農業から離れるという。作者とその若き離農者との距離は関係なく、切ない情況である。

 

03/本茶みち三又に分かれ乱れ萩  小川文雄
本茶峠はつづら折りの道をぬって通り抜けなければならない交通の難所である。かつて島尾敏雄研究会のひとたちと、本茶峠にあるとある店舗でバーベキューをしたことがある。山深い閑かなところだった。いまはトンネルができて名瀬から大島北部まで車

の便もよくなった。その山深さをすこし知っている人間にとって、この句は三又という旅人や通行人をまどわす交差路にある乱れ萩という設定だけで、なにやら背後に物語性を感受するのである。

 

04/チヂンの音掛け合う謳ひ秋の宵  平井朋代
秋は奄美の祭りの季節である。かつて米作が島のいたるところで行われていた時、二期作の奄美では収穫とあらたな農作業がはじまる時季でもあったのだ。収穫を祝うこの時期にはシマジマでチヂン(太鼓=奄美大島・喜界島の呼び名)が鳴り、八月踊りが始まった。今月の例句として〈三線を友と爪(ツマ)弾(ビ)く秋音色 衣香〉も。奄美は生活の中でゆたかな芸能が息づいているほどである。かつて奄美を支配していた薩摩藩は、奄美に多くの祭事があることから、制限しようと試みたことがあった。シマではそうして抑制されるほどに祭事が多かったのである。もちろんその中にはノロ祭祀も含まれている。

 

05/集落の生き字引なり生身魂  池田利美
現在はシマと言い習わしているが、奄美の人たちはかつてシマをヤマト口に表現する時、部落と言っていた。部落は被差別部落の略称でもあることから、私も含めていつのまにか〈シマ=集落〉という表現に言い換えるようになった(しかし今でもシマ=部落と言う高齢者の方はいらっしゃる)。奄美群島のシマはひとつのミクロコスモスを形成している。ひとつの完結した世界なのである。その集落の生き字引である「生身魂」とはいったいなんだろう。「イキミタマ」と呼び、秋の季語。生きている尊者に対して礼をつくす日、またはその礼をつくすこと、の意味なので、シマで尊敬される高齢者のことなのだろう。余談だが「生身魂」に近い表現で「生霊」がある。「イキリョウまたはイキスダマ」と呼ぶ。源氏物語に出てくる六条御息所は生霊が自分の身体を離れて知らず知らずのうちに光源氏のもとにいる葵の上に取り憑くのである。しかし六条御息所本人は自分が生霊になっていることを知らない。恐ろしい怨霊の持ち主だが、源氏物語に登場する女性のなかで意外と人気のある女性なのである。わたしも六条御息所の持つ人間の情念の深さが嫌いではない。

18.08月の特選奄美俳句5選No.28/2018.08

  • 2018.09.05 Wednesday
  • 09:15

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の35回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

〈2018年8月の奄美俳句五選〉

01/潮騒は母のこゑかと盆の海                   向井エツ子


02/朝顔を抱きて子供ら門に散る                平井朋代


03/一畝の草取り鍬(くわ)の重さかな       山すみれ


04/風の傷陽の傷つけて島バナナ                登山磯乃


05/むちゃ加那の行方知らぬかアダンの実    惠ひろと

 

 

〈評〉

01/潮騒は母のこゑかと盆の海  向井エツ子
奄美の盆は旧暦7月15日なのでヤマト(本土・関西)と時期がずれる。だいたい八月の半ばか九月にかかる。先祖崇拝がいまでも濃厚に息づいている場所なので年間の祭事のなかでも重要な位置づけである。この句、亡き母を偲ぶこころのありさまが、しっとりと伝わってくる。聞こえるはずのない母の声が、潮騒となって聞こえるのである。島に生き、島に亡くなった者たちは、形をかえて、いつでも身近にそっと生きている者たちに語りかけてくる。亡くなった者は遠くに逝ってしまったのではなく、手の届く身近な場所に同居しているのだ。奄美の人たちの生死観がよく現れている作品である。

 

02/朝顔を抱きて子供ら門に散る  平井朋代
かつて拙宅でもグリーカーテンの意味をこめて朝顔を育てたことがある。さまざまな品種があるなか昔から伝わる品種を選んだ。日当りがよかったのか蔓はどんどん伸びて、二階の窓にも達する勢いだった。子どもが幼かったこともあり、最初のうちはおもしろがって水やりをしていたのだがやがて飽きてしまい、妻の仕事となった。花の季節が終わってみると枯れた蔓など後片付けもすべて妻がやることになる。翌年には種は残ったものの、「今年はもういや」と妻に宣告されて我が家から朝顔は消えた。この句の家では孫に見せるまで毎年朝顔が咲いていたのだろう。羨ましく、かつ、ほほえましいいかぎりである。

 

03/一畝の草取り鍬(くわ)の重さかな  山すみれ
奄美は〈農の島〉である。生産農家として格闘するかたわら、近くの畑を耕し、日々の野菜などを作ることもありうるだろう。奄美では100歳以上の高齢者が115人(2015年)いて現役で畑作業をしている人も少なくない。しかしそれでも若い時には気にしなかった鍬の重さが加齢とともに感じてしまう。その年齢の積み重ねを実感している作品である。〈こってり味好みし夫に南瓜煮る 金井由美子〉も家庭のなかのなにげない光景を見逃さずに句に昇華させている。俳句作家にとって日常こそ、俳句作品が生まれる沃野なのである。

 

04/風の傷陽の傷つけて島バナナ  登山磯乃
少し酸味がある島バナナ。こぶりな形状がかわいい。ヤマトにも出荷されるがすぐ食べないと、黄ばんでくる。その島バナナをじっとみつめる。グローバル企業がつくり輸入され店頭にならぶバナナの皮は、ぬめっと白く傷がついていない。それに比べて島バナナは野趣ゆたかなので、輸入バナナのようにはいかない。その形状をこの作者は見逃さなかった。「風の傷陽の傷つけて」とはなんて詩的な表現なのだろう。バナナに対して、島に生きる者として、バナナと同じ風、同じ陽と接していることへのいつくしみが表現されている。〈大海の青に収まる阿檀の実 竹田史郎〉もまた島の植物(阿檀の実の「紅」)が島をつつみこむ大海原(海の「青」)が対照しているさまを描いている。

 

05/むちゃ加那の行方知らぬかアダンの実  惠ひろと
シマウタとして歌い継がれている「ムチャ加那節」。異説はあるものの、ムチャ加那は、加計呂麻島・生馬(いけんま)集落出身の母ウラトミの娘として喜界島・小野津集落に生まれた。母娘ともに美人だったそうだ(奄美の悲話として伝承されている物語のヒロインはきまって美人である)。母ウラトミは、薩摩の役人から島妻(アンゴ)になれと強要され、それを拒絶。絶対的な支配者である薩摩役人の要求を拒否するわけにもいかず、シマの人たちがとった選択は板付け舟にムチャ加那を乗せてシマから放逐することであった。そのムチャ加那が流れ着いたのが喜界島・小野津集落。そこでめぐりあった島役人と結婚して、生まれたのがムチャ加那。その美貌は母ゆずりだった。その美貌に嫉妬したのがシマの女性たち。冬の岩場でのアオサ摘みに誘われたムチャ加那はシマの女性たちに海に突き落とされ、溺れ死んでしまう。その遺体は父母が見つけたという説と、奄美大島住用村の青久という集落に流れ着いたという説がある(青久には「むちゃ加那の碑」がある)。心を打つ哀しい物語である。ただ、喜界島にはムチャ加那の美貌に嫉妬して突き落としたメーラビたちの子孫も生きているので、このシマでは今でも微妙な空気が流れているのかもしれない。

18.07月の特選奄美俳句5選No.28/2018.07

  • 2018.08.05 Sunday
  • 09:14

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の34回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

〈2018年7月の奄美俳句五選〉

01/亡き吾子の香りをたたむ白きシャツ    宮山和代


02/一湾の風をあしらふ海紅豆                中村恵美子


03/黒南風の肺まで満ちて独りなり          福山勇人


04/方かげり一服するには風足りぬ          和 学歩


05/白南風の大海原をカツオ船                嘉ひろみ

 

〈評〉

01/亡き吾子の香りをたたむ白きシャツ  宮山和代
哀しい句である。俳句には「吾子俳句」というジャンルがありそれは幼子や成長していく楽しみを謳った内容なのだが、ここに登場する吾子はいまはこの世に存在しない。その子が着ていた白いシャツをたたみながら、親としてその子の短かった全人生を振り返っている。生と死は隣座している。〈臨終は日々そこにあり黒揚羽 宝田辰巳〉は対極として自らの生の終わいを深く自覚している。ふと日常にすべりこむ人のいきざま。〈堤防に夕焼見つめいる翁 坂江直子〉もいまある生を噛み締めながら翁のありようを活写している。生きるさまを朗々と謳い込んだ句に〈仏桑花今日の命を赫々と 川間佳俊〉も。

 

02/一湾の風をあしらふ海紅豆  中村恵美子
この句「一湾」という表現で奄美の地形をぐっと掴んでいる表現を評価したい。たしかに奄美大島はこうした深い入り江があり沖には立ち神がある。一湾とはシマのひとつの言い換えとなる。海に開かれた地形を観ずればこうした把握になるだろう。つづく
「一湾の風をあしらふ」という表現も卓越している。シマの海から吹きそよいでくる風を受け止めようとしている言うのだ。受けとめているのは「海紅豆」(=かいこうず、デイゴ)なのだが、それはシマに生きるシマンチュの換喩なのかもしれない。

 

03/黒南風の肺まで満ちて独りなり  福山勇人
奄美の俳人たちの句を読んでいると、いくつかの傾向が思い浮かぶが、この句のように〈生きることそのもの〉〈シマに生きること〉の覚悟を謳った作品に出会う作品もそのひとつ。「独りなり」と強く言い切ることの覚悟。「黒南風の肺まで満ちて」とは今の生のありよう、現実を五臓六腑の底まで落とし込んで是認しているのだという揺るぎない心情が謳い込まれている。〈いささかの迷(まよ)ひもなしや蟻の道 窪田富美子〉の句も決まった方向につづく蟻の行列を「いささかの迷(まよ)ひもなし」と観る作者の心意気が反映されている。ただ蟻の集団の中には働いているようで実際的な餌を運ぶといった実務をしない蟻が必ずいるのだが。

 

04/方かげり一服するには風足りぬ  和学歩
「方(片)かげり」とは夏の日陰のこと。温度だけ比較すると奄美と関西はそうたいして差はない。むしろ北に位置するヤマトの方が温度が高い場合がある。むちろん温度が近似だといっても暑さの質が違う。都会の夏はビルからのエアコンの廃熱などで、逃げ場のない暑さとなる。関西から南の奄美に「避暑」に行きたいほどだ。シマには冷房が効いた室内だけでなく、ガジュマルの樹下などで休むという避暑の選択がある。そこには顔なじみのシマの人たちが集う。神戸でも長田にはそうした毎日奄美出身者がつどう公園があり、シマグチが交わされている。そこにはゆったりとした時間が流れている。そうしたシマの日陰に休もうにも暑い。この句「風足りぬ」としたところに作者の感性が煌めいている。

 

05/白南風の大海原をカツオ船  嘉ひろみ
かつて隆盛をきわめた奄美のカツオ漁。大正時代をビークとしてシマごとに漁船団を組んでカツオ漁に取り組み、シマは活況を呈した。その漁の取り組みもシマごとの性格がよく現れていたと宇検村平田集落の人から聴いたことがある。また同村西古見集落ではカツオ船がさかんであり、カツオ節の工場も稼働して、シマが随分潤ったらしいが、何度か漁船の遭難事故が起きている。このシマのノロは海上祈願をしていたと聞く。この句、いまは数少なくなったカツオ船のことを作品にしたと思われるが、奄美漁業の栄枯盛衰が句の背景にほの見えてくる。白南風の季語を使った今月の句として〈白南風や出船入船水脈挽きて 森美佐子〉〈白南風や千年松を語り継ぐ 中川惠子〉も良い。

18.06月の特選奄美俳句5選No.33/2018.06

  • 2018.07.05 Thursday
  • 09:04

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の33回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

〈2018年6月の奄美俳句五選〉

01/父の日や遺影は特別攻撃機                    内野紀子


02/梅雨晴れや飛沫上げゆく巡視船              宮山和代


03/気まぐれの雨の滂沱(ぼうだ)や青嵐     浜手増美


04/紙魚こぼる芳朗詩集初版本                    吉玉道子


05/母の盛る油ソーメン田植時                     榊 秀樹

 

〈評〉

01/父の日や遺影は特別攻撃機  内野紀子
先の大戦では、喜界島の上空で旧日本軍と米軍の戦闘機の空中戦が行われたり、沖永良部上空でも両軍の戦闘機が遭遇したりと、奄美上空もまた激しい戦場となっていた。特攻機は空の戦闘機が突出して有名となっているが、海の特攻艇も多かった。島尾敏雄が加計呂麻島・呑之浦集落で隊長を務めていた「震洋」はベニヤ製の特攻艇。奄美群島にいくつかの特攻基地が儲けられていた。父・大橋彦左衛門が敗戦間際まで訓練していた小型潜水艦「蛟竜」は魚雷を発射する機能つきだったので魚雷そのものを運航する「人間魚雷回天」よりすこしだけマシだが、帰艦は補償されなかった。父の世代(大正生まれ)は迫り来る戦況の悪化によって長生きできるとは思っていなかったと証言していた。島尾も覚悟はできていただろう。この句、父の遺影が特別攻撃機なのだから、島尾や父と一緒で、死ぬことを運命づけられた世代に属するのだろう。「大正生まれの我々は、明治生まれの者たちが起こした戦争の犠牲にされたのだ」とどこかのオーラルヒストリーで聞き及んだことがある。

 

02/梅雨晴れや飛沫上げゆく巡視船  宮山和代
21世紀の今となって東シナ海が蠢いている。隣国の中国との摩擦によって、この海域の両国におけるつばぜり合いが頻繁におこるようになった。このため奄美・沖縄の海域を担当する巡視船も増船された。この巡視船、ひどい荒海でも航行が可能らしく、高い性能を誇る。かつ巡視船という性格上、武力を行使するための装置も付帯している。紛争がつづく海域に海上自衛艦を繰り出せば一挙に軍事的緊張に発展するが、「軍隊以下/半武力艇」の巡視船の出番となる。この句、巡視船の雄々しい姿を作品化している。それもまた現実だろう。余談だが、かつて奄美が米軍政下にあった時のこと。「みちしお」という名前の巡視船があり、それを屋号にした沖永良部のユタがいた。

 

03/気まぐれの雨の滂沱(ぼうだ)や青嵐  浜手増美
滂沱と降る雨という表現そのものが文学的である。はげしい雨なのだが、滂沱という表現の中になすすべもないやるせなさが込められている。おそらく降り出した雨が大雨となり、嵐(青嵐)と表現するほどにひどくなってしまったのだろう。〈荒梅雨に濡れさけびたき日もありき 野山詩音〉は俳句文芸では珍しい私情を表出した作品。〈島の梅雨まぶしき白やコンロンカ 奥直哉〉はレイニーシーズン(梅雨)であることを謳った作品。

 

04/紙魚こぼる芳朗詩集初版本  吉玉道子
私も『泉芳朗詩集』の初版本を持っている。いまは南方新社によって新装本が出版されている。徳之島伊仙町面縄集落のこの詩人は、詩人という枠をこえて、奄美の復帰運動の中心的人物であり、復帰に大きく貢献した人である。詩人としては抒情的な詩風を書き続けた人で、奄美のひとたちに深く愛されている。とくに復帰運動の最中に書いた作品は、詩人に対して要求されているその詩人が所属する共同体の深層心理を言語化・作品化するという役割をよく認識して、ひとびとの共通感覚を詩作品として表出していた。詩人というのは詩集というメディアでいつでもシマの人たちに回顧され、その文学的営為が反復されるのだ。紙魚もまたその初版本とともに生きてきた作者の勲章なのだろう。

 

05/母の盛る油ソーメン田植時  榊秀樹
いま黍刈りはハーベストという刈り取り機が普及しているので、かつてのように人力による黍刈りの光景は少なくなったがなくなったわけではない。人力での黍刈りはシマの「結い」の機能が発揮され、働いた人たちには油ソーメンが振る舞われた。いまはカップ麺に変っていると聞く。しかしこの句は黍刈りではなく田植えなのである。奄美にもかつては水田が多くみられたが、1970年からはじまる全国的な減反政策(米作の生産調整)などによって、減ってしまった(奄美の人たちの間では政府から鹿児島県にあてがわれた生産調整額を達成するために奄美群島がターゲットにされたと聞いたことがあるが確証はない)。このような情勢を考えると田植時に油ソーメンを食べたというのはいつ頃のことなのだろうか。

 

18.05月の特選奄美俳句5選No.32/2018.05

  • 2018.06.05 Tuesday
  • 08:50

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の32回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

〈2018年5月の奄美俳句五選〉
01/野いばらの棘柔らかし聖五月         向井エツ子


02/薫風や深き入江の文学碑               宮山和代


03/そら豆の日向へ倒るる如くなり      中村緑子


04/梅雨しとど女二の腕冷え易し         吉玉道子


05/夕暮れの風の重さや梅雨兆す         福山勇人

 

〈評〉

01/野いばらの棘柔らかし聖五月  向井エツ子
奄美の俳句を読んでいるとふと出てくるのが、キリスト教の祈りの世界である。しかもそれはカトリックの世界なのである。奄美大島には主に二つのカトリック教会の系譜がある。バチカンに直結する鹿児島教区の教会(名瀬聖心教会)とコンベンツァル・フランシスコ修道会(マリア教会ほか多数)に所属する教会群がある(他の奄美の島のカトリックの事情は異なる)。わたしが通っていた兵庫県西宮市のカトリック系私立小学校はたまたま奄美と一緒のコンベンツァル・フランシスコ修道会が運営していた。「聖五月」とは聖母マリアと深い関係がある。プロテスタントと異なりカトリックは聖母マリアへの信仰が篤いことで差異化される(カトリック王国のスペインのアンダルシーアに行くとここは息子のキリスト教ではなく、母のマリア教ではないかと錯覚してしうほどだ)。この句も「野いばらの棘柔らかし」とあるように聖母マリアのイメージにあったやさしく万物を包み込む母性が謳われている。ほかに季語「聖五月」を使った句に〈透き通るボーイソプラノ聖五月 惠ひろと〉

 

02/薫風や深き入江の文学碑  宮山和代
「深き入江の文学碑」といえば、加計呂麻島呑之浦集落にある島尾敏雄文学碑であろう。島尾にとってそこは、戦争さえなければ、古代の古事記の世界を彷彿とさせる静謐な場所だったのだ。わたしも訪れたことがあるが、ここが特攻艇の基地であるなんて信じられなかった程だ。加計呂麻島は他にもいくつか特攻艇の発信基地を始めとして、旧日本軍の基地が構築されていて、軍事的拠点としては重要な場所であった。奄美大島と加計呂麻島との間の大島海峡はかつて旧日本海軍の連合艦隊がすべて停留できたと伝えられている(薩川湾にすべて収まったという人もいるが)。そうした元基地跡にそよと吹く風。自然は戦時中もそよと風が吹いたのだろうが、島尾という筆記者(書く人/表現する人)がそこに存在したということで、場所はことなる意味性を付与されるのだ。文学そして文学者がその場に刻印することの意味の深さを想ってしまう。

 

03/そら豆の日向へ倒るる如くなり  中村緑子
この句、「の」の効用に注目しよう。「そら豆が」と書いてもいいのだけれど、そう書くと句が説明的になる。この句のたくみなところは、俳句における「の」の汎用的性格をうまく使っていることだ。「そら豆や」と上五で切ってもいいのだが、そうすると中七と下五の二つと切り離されてしまい、句としての一体性がなくなり途切れてしまう。直線的な流れを創出したい時には「が」でなく「や」でもない「の」を置くことで句がスムーズに流れていく。こうした意味で「の」は切れ字のような要素もありながら上五・中七・下五の一体性を強調したい時に活用できる。豆について語ってみよう。豆がでてくる奄美の歌謡でまず思い出すのが、沖永良部島に伝わる「畑(はる)の打(うち)豆(まみ)」である。ひとふしだけ紹介しておく。「畑(はる)の打(うち)豆(まみ)いぢよ/車棒に巻かるよ ヌガヤルヤル/イチリヌヨイシ シタリヌヨイシ/打ちまくてぃ うちゃぬちよ/豆(まみ)がなし 私(わたみ)よ ヌガヤルヤル/イチリヌヨイシ シタリヌヨイシ」(『沖永良部島・国頭の島唄』シーサーファーム音楽出版)ハヤシの部分が勢いがある。おそらくイト(仕事唄)のひとつなのだろう。いかにも働き者の島のシマウタである。

 

04/梅雨しとど女二の腕冷え易し  吉玉道子
梅雨時の身体の様子がリアリティをもって表現されている。「しど」が効いている。働き者の女性であるのに違いない。わたしの母も働き者だった。大正生まれだったので、戦後になって家庭内でつぎづきと電化製品が普及していくさまを便利だと感じていたのにちがいなかったが、病身であったにもかかわらず毎日手を抜くことなく家事に勤しんだ。女の二の腕が冷えたり、太くなったりするのは、働き者のしるしなのである。二の腕という身体にしっかりと梅雨という季節をうけとめる女性の生のたしかなありようが句に現出されている。

 

05/夕暮れの風の重さや梅雨兆す  福山勇人
風を重いとする表現にせまってみよう。わたしも詩を書く時、風をよく詠む。しかしその風は立ち止まったり、固形化したものであったり、昨日の風だったり、意思を持ったりする。風が重い軽いという表現は思いつかなかった。奄美の日常に生きていると、都会では感受できない自然のさまざまなものが、計量化されたりして形象化される対象となるのだろう。もちろん透明な風が重いと感じるのは詩人的感受性がなければなしえないことである。重い風、それは風そのもののことであるし、風を風たらしている天象(雲、雨、照度、湿気、風を受け止める樹木のゆらぎ、鳥たちのいつもと異なる鳴き声)との関係性も考えてみたい。〈梅雨間近風の重さを肌に受く 中吉頼子〉も風の重量を作品に呼び込んでいる。

18.04月の特選奄美俳句5選No.31/2018.04

  • 2018.05.05 Saturday
  • 08:50

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の31回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

〈2018年4月の奄美俳句五選〉

01/をちこちと位置定まらず蝶の昼         福永加代子


02/風光る海の匂ひの貝ひとつ               山野尚


03/バレイショ掘り家路に遅き畠ばかり   和学歩


04/春寒や豆むく指の太さかな               中村緑子


05/春の畑夫と卒農決めにけり               春のボタン

 

〈評〉

01/をちこちと位置定まらず蝶の昼 福永加代子
「あちこち」を意味する「をちこち」。オノマトペのような響きがいい。たしかに蝶の飛び方は目が回るのではないかとこちらが心配するほど上下・左右に激しく揺れる。ただ黒揚羽やオオムラサキといった種類の蝶はグライダーのように滑空するように飛ぶ。そういえば奄美では蝶は「ハベラ」(地域によってさまざまな呼び名がある)。たしか蝶と蛾の区別は本土ほど峻別されていないと聞いたことがある。奄美・沖縄の蝶愛好者の楽しみは、はるか北方のヤマトから渡海してくるアサギマダラであるし、台風のあと、風に乗ってやってくる迷蝶を見出すことである。

 

02/風光る海の匂ひの貝ひとつ  山野尚
神戸も奄美も臨海の土地柄なのだが、神戸の人間が日常的に海そのものに接する機会は多くない。もちろん須磨や塩屋、舞子といった海に近接しているところは、意識しなくても毎日海と臨場的に接している。あるいはそうした神戸市西部ではないところでは六甲山系に近い山手にいけばそこから南を遠望すれぱ市街地の向こうに海が広くたゆたっていることを実感する。視覚的な海はこうして近かった遠かったりするのだが、匂い=嗅覚で海を感じるときがある。潮の匂いのする海風が南から市街地にふきつける時だ。この句、春の海の変化をよく捉えている。冬の海では感じなかった海面に反射する光、匂いも冬の間沈黙していたのではないだろうかと思うほど感じなかったが、貝から漂う海の香り。神戸と奄美、海に隣接している土地柄は共通していても、海を実感するチャンネルの違いを知る。

 

03/バレイショ掘り家路に遅き畠ばかり  和学歩
沖永良部島と徳之島からこの時期になるとヤマトに向けて馬鈴薯が出荷されるため、港湾における出荷作業が多忙となる。この馬鈴薯もその時々の市場の原理によって価格が決定されるので生産農家にとって気になるところである。これら両島で作られる馬鈴薯は関西という大きな消費地にとって今年出来たての新モノとなる。奄美産が売れきれると次は鹿児島本土、長崎県産の馬鈴薯がスーパーの店頭にならぶ。この句、馬鈴薯を畑から収穫して家に帰ろうとすると、遅くなってしまったというのが句意なのだろう。「家路に遅き畠ばかり」という直接的ではない表現が句を面白くさせている。

 

04/春寒や豆むく指の太さかな  中村緑子
犒吻瓩見えてくる句である。この犒吻瓩箸六覲佚に句意が把握できること、自分の体験に照らし合わせて既視感を感じられること、といったことを実感できる作品といえよう。切れ字「や」を多用しすぎると、詩として屹立すべきところが、詠嘆の記号である切れ字によって俳句的な叙情性に回収されてしまい作品が平板になる恐れがある。切れ字は有季定型俳句にとって重要な語法のひとつなのだが、はたしてこの句に切れ字を使うべきかどうか最後まで選択眼を働かせてほしい。季節は春。〈春景や草喰むヤギの一人占め 衣香〉〈海風とそそぐ光につつじ燃ゆ 益岡利子〉といった句はこの季節ならでは。〈春風や藍染の色ふくらませ 中山好風〉〈染色の家業百年春の水 惠ひろと〉の句も心に残る。

 

05/春の畑夫と卒農決めにけり  春のボタン
農業という職種には定年がない。奄美では100歳をこえても毎日畑にでる人がいる。この句は「卒農」と書く。どこか寂しい響きがある。生産農家として換金作物をつくることをやめることを言うのか、それとも自宅近くの畑に出ることも含めて農作業をやめてしまうのか、都会に住んでいる者にとって、この「卒農」という表現だけでは実感として判断ができない。なにせ神戸市街区に住んでいると日常的に田畑を見ることは皆無であり、とうぜん農に生きる人も身近にいない。この句「春の畑」というのも注目しよう。春だとまだ植え付ける作物は多く、生育するまで時間がかかる。その植え付け自体もやめてしまおうと言うことなのか。この他春を感じる句として〈春の陽を分け合う討論する二人 重武妙〉〈春風や藍染の色ふくらませ 中山好風〉など。

18.03月の特選奄美俳句5選No.30/2018.03

  • 2018.04.05 Thursday
  • 08:36

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の30回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

〈2018年3月の奄美俳句五選〉

01/屈(かが)みみて寄り流木に春深し    奥 直哉


02/春日やすり這ひの稚児探検家               平井朋代


03/霾(つちふる)や記憶の中にある生家   吉玉道子


04/春の午後野原にはなびく牛の声            川間佳俊


05/磯風をほどよくまとふ弥生かな          向井エツ子

 

〈評〉

01/屈(かが)みみて寄り流木に春深し 奥直哉
海岸に流れ着くものを「寄りもの」という。形が奇矯なものであれば「寄り神」あるいは「漂着神」との位置に祗り挙げられる。かつて奄美の海岸でさまざまなものを見た記憶がある。その中には山羊の白骨屍体というのもあった。海からの漂着物を大切にし、時には神体にもなる。海辺は此界と彼界との接点となる。わたしは海辺にある石を集めるのが好きで、「むちゃ加那」伝承がある奄美大島住用村・青久集落の浜辺で拾った形の良い楕円形の丸石を、毎日のパソコンがある作業台に置いている。分厚い本をあけたままにする時に程よい大きさと重量なのである。しかしこうし石拾いをみていた奄美の友人は忠告する。「石はそこにあるのはなにかの必然があるのだから持ち出してはダメ」。説得力のある言葉である。なるほどと関心した。こうして奄美のひとびとは石ひとつにも自然との関係性と敬神の感情を惹起させるのである。この句、そうした奄美の人たちの自然に対する畏敬の感情がよく現れている。

 

02/春日やすり這ひの稚児探検家 平井朋代
これは珍しい。五・五・七の構成になっている。俳句の定型は五・七・五で構成されるのがもっぱらである。しかしこの五・五・七の文字配列であっても有季定型の必須条件のひとつである十七音字を守っているので良しとすべきだろう(結社やその主宰者によってあくまで俳句は五・五・七でなければならないと主張する方もいらっしゃるだろうが)。俳句はいくつかの規範によって成り立っていて、それを守るかどうかはその俳人の詩的感性にゆだねられるべきなのだが、大半の俳人たちの結社に所属しているので、その結社内で確立された不文律を守っていくのもまた大切な営為なのである。こうした俳人たちの「常識」を踏まえた上でもなお俳句は詩として自由であるべきだと唱えるタイプの俳人グループが存在する(私もそのグループの一員である)。この句、子供たちの躍動感がリアルに伝わってくる。句のリズムもいいので、その良さをもって作品を観賞してもむいい。

 

03/霾(つちふる)や記憶の中にある生家 吉玉道子
私の友人にこの「霾」という漢字を詩集のタイトルに選んだ人がいる。画数が多く、とても一回では覚えきれず書ききれない漢字である。季語であり季節は春。ときに奄美に激しくふりそそぐ黄砂が降ってくる。視界をさえぎるほどに激しいときもあり、空港は閉鎖。飛行機も飛ばなくこともある。晴れているのに外界そのものが黄ばんで見え、ある意味幻想的な光景が現出する。つまり時空が停止して、過去にワープすることも踏み出した先がまったく異なる場所であったりすることもありうるのだ。こうした幻想的光景の中でこそ、「記憶の中にある生家」がふと現出することもありうるだろう。今月はこのほかにも春という季節ゆえにおぼろな環境と心境となるためか現実と現実でないものの境が溶化する作品が見られる。引用してみよう。〈浅黄斑舞ふ幽玄の森深し 庵崎京子〉〈けぶりつつ雫となりし春の雨 中村恵美子〉〈母の忌の厨に白蝶まつわりぬ 登山磯乃〉

 

04/春の午後野原にはなびく牛の声 川間佳俊
今年一月のことである。沖永良部島から徳之島へ船で向かう時、和牛の子牛がゲージに入れられて本土へ出荷されるのを待っていた。これから本土の肥育農家にひきとられ良質な肉用牛として育てられるのだ。中には霜降り・サシ入り「KOBE BEEF」になる牛もいることだろう。同船した沖永良部の友人によると少し前、島の子牛が一頭百万円で落札されたらしいと驚いていた(農林水産省の「食料・農業・農村政策審議会」による黒毛和牛の平成三〇年度「保証基準価格」は三四一、〇〇〇円なのでその落札金額の高さが納得される)。モオーという牛たちの泣き声を聞くことはシマでは珍しいことではない。それでも春に向かう季節のうつろいの中で陽や風が変化していくさまのなかで、牛たちの鳴き声も変って聞こえるに違いない。

 

05/磯風をほどよくまとふ弥生かな 向井エツ子
この句、俳句という文芸が持つ特性のひとつをよく現している。というのはこの句を構成する「磯風」「まとふ」「弥生」という三つの語彙には、俳句作家の五感が介在していない(「ほどよく」が主観的表現である)。つまりこの三つの言葉は「磯風=海からの風という現象」「まとふ=あるものがあるものを包摂するという物理現象」「弥生=季節のうつろいのなかで人為的に区切られたとある季節」によって構成されていることがわかる。つまりこの句は物象(モノ)が物象(モノ)を詠っているということになる。俳句は物象同士の現象を詠う文芸でもある。もちろんその物象同士の現象を感得する詩人としての感性があってこそエクリチュールとしての文芸が成り立ち、五・七・五という字数に凝縮した作品世界が成立するのである。〈えらぶゆり漂ふ香り風にのり 東ハナ子〉の句も物象(モノ)同士の会話である。

 

 

18.02月の特選奄美俳句5選No.29/2018.02

  • 2018.03.05 Monday
  • 08:29

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の29回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

〈2018年2月の奄美俳句五選〉

01/越山の影海入りて冬茜                           未央


02/島山の淡き陽を受け木々芽吹く               島袋京子


03/相打ちて白竜となる寒の濤                     庵崎京子


04/皓々や極める青に寒の月                        窪田富美子


05/大海(おおわた)の風にゆだねる浜大根   浜手増美

 

〈評〉

01/越山の影海入りて冬茜  未央
奄美大島はけわしい山が島のいたるところにそびえ立っている。昔は隣りのシマに行くのにも峠を超えていかねばならず、板付け舟に乗っていった方が至便であることが多かった(かつてのウタシャはヨソジマに唄あしびに向かう時、板付け舟に乗って往来したと聞く)。冬は影がながくなり奄美の山々の影が海に差し込んでいるという光景。この季節の昼は短い。午後三時すぎると陽が傾いて夕刻の気配になっている。そうした一日の陽の終わりと対照的な茜色の空。鈍色の山と影と茜色との対比も効いている。〈雲間より今日を惜しむか冬茜 衣香〉もまた冬茜を詠っている。

 

02/島山の淡き陽を受け木々芽吹く  島袋京子
常緑樹が多い奄美の山々。冬でもしっかりと葉を残し次なる季節を待っている。常緑樹と落葉樹が混在し、冬には枯れ木のようになってしまう樹木をも見る関西地域とは、山も街路樹もその様相が異なる。しかしいずれも芽吹きの春を迎えることは同じで、冬の間にも蕾がすこしずつ膨らみ春の到来をすこしずつ可視化している樹木もある。季節のうつろいは確実に進行していく。そのかすかな変化を見届けるのも俳人としての感性の発露なのである。

 

03/相打ちて白竜となる寒の濤  庵崎京子
冬の海についての句である。わたしの実家は神戸市西部の塩屋という海と山が近接している場所で、奄美大島の地形によく似ている。この地区で六甲山系は果てて、ここから西は播磨平野へ続いていく。高校一年のときに引っ越しして毎日塩屋の海を眺めていた。海は毎日変化するのだが、光に満たされた夏の海より、陽が弱くなった冬の海の方が色彩が豊かになっていることを知った。見ていた海は内海の大阪湾なので波静かである。奄美と違うところはサンゴ礁がないので、サンゴ礁という緩衝地帯は存在しないということ。徳之島の民俗・歴史学研究者の松山光秀氏はこのサンゴ礁(コーラル)が、奄美を含めた琉球弧には住むひとたちの文化や民俗を育んできたのだと気づき、琉球弧は「コーラル文化圏」であると主張している(松山光秀著『徳之島の民俗2』未来社、2004)。さてこの句、冬のたけだけしい荒れた模様を「相打ちて白竜となる」との巧みな表現で言い表している。白波が白波と交雑しながら荒れ狂う冬の海。こんな天気の時に鹿児島に向かう船に乗ったら大変な目に遭う。

 

04/皓々や極める青に寒の月  窪田富美子
「皓々」は彩度のたかい明るい色彩のイメージを表現するとともに清らかさを表現している。その「皓々」が青に近づく時、かたわらに「寒の月」がある。「青」と簡潔に表現する語法も凛としている。いかにも冬に展開していそうな光景をよく俳句作品に昇華させている。今月は冬という季節にまなざしをむけた作品のいくつかに出会った。〈冬あかね見つつ帰るも途中まで 和学歩〉〈雲間より今日を惜しむか冬茜 衣香〉〈寒雀老の余白をホホ笑ふ 窪田セツ〉私見になるが、わたしは冬という季節を好んでいる。文芸作品を創出するときに想像力が湧くからである。春を待望しているわけではない、奄美とちがって雪に閉ざされた地域に住んでいるからでもない(神戸も年に数度積雪をみる程度。それも昼になると大方溶けている)。冬はどうしても身心がくぐもりがちになる。そのくぐもりが、俳句や詩を創出するときの起爆剤になるのである。

 

05/大海(おおわた)の風にゆだねる浜大根  浜手増美
海と浜大根を一句の中に同居させている巧さ。しかも海を「大海(おおわた)」としている。たしかに奄美群島は海に囲まれている。空路にしろ航路にしろ奄美へは海を経由しなければ到達できない。また生活に必要な物資もまた海を経由する。おなじ臨海の神戸と違うところだ(でも奄美と神戸は海でつながっている)。どうしても奄美の方が海との近接度は高い。そして海からの影響と恵みの深さも実感していることだろう。奄美の俳人たちが海を想う時、それは自分たちの身体が延長されたもの、いや身体=存在に内在化された事象であるのに違いない。奄美は海と共に生き、海とともに呼吸するのである。そうした感覚を日常的にとぎすましているので、海を詠う句も豊穣なのだろう。今月の句に海に関する句として〈流木の白く横たふ余寒かな 向井セツ子〉

18.01月の特選奄美俳句5選No.28/2018.01

  • 2018.02.05 Monday
  • 09:02

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された
1月31日から2月2日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらん
でいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)


〈2018年1月の奄美俳句五選〉

01/一決の平成たたむ四方拝               窪田富美子

02/島に生(あ)れ島に育ちて去年今年  坂江直子

03/東シナ海踏まえて大き冬の虹         吉玉道子 

04/初日記書きたるほかなに用もなし       和学歩 

05/初日の出ぬっと灯台アダン林           中村緑子 


〈評〉

01/一決の平成たたむ四方拝  窪田富美子
「一決」の表現が面白い。いさぎよく、あるいは、きっぱりと、との語意なのだろうか。今年は平成30年。この元号も来年4月で終わろうとしている(次の元号名は未発表。おそらくアルファベットでいえば最初の文字は〈K M T S H〉以外であろうと推察される)。東アジアの中華文化圏の諸国は、中国王朝の暦を使う事が多いなか、日本は自前の暦(元号)を持っていた(奄美はいつごろまで琉球王朝の暦を使っていたのだろう)。今回の世(ゆ)替わりの特色は、天皇の生存中に次の皇太子に王位を譲ろうとしていることである。歴代の天皇の中には花山天皇(968-1008)のように部下に騙されて出家=退位させられてしまった者もいる。花山院は退位後、勅撰和歌集『拾遺和歌集』を編纂したと伝えられ、文芸と隠遁の世界に生きた。さて、平成天皇が退位したあとは、「院政」を敷くのだろうか、それとも文化王として機能していくのだろうか。「四方拝」は元旦に行われる天皇神道の祭祀。「一決」は、この祭祀が行われる元旦という一年が始まるすがすがしさにもかけているのだろう。(ちなみに「四方拝」は天皇祭祀だけではなく、民間の信仰にも息づいている。大阪の香具波志神社近くの民家にも「四方拝」の札が貼られていて、家人が拝んでいたことを確認している)

 

02/島に生(あ)れ島に育ちて去年今年  坂江直子
島、シマに生きることの覚悟がよく現れている。こうした句を若い世代がつくると句意がちがってくるだろう。年齢を重ねて作句してこそ、ずっとこの島・シマ社会に生きてきたことへの述懐と、自己肯定と、若干の自己満足とが入り混じった句境が呈示されることになる。奄美の俳人たちは、時折こうして島、シマに生きることの自己確認の作品を生み出していく。それほど島・シマを取り巻く生活環境は、自己が自己であることを日々のなかで追認していく、あるいは追認しやすい環境なのであろう。島・シマ、あるいはシマンチュの自己充足性を感得してしまう。

 

03/東シナ海踏まえて大き冬の  吉玉道子
2018年が始まった。どんな一年になるのだろう。奄美にとって飛躍の年になることを願っている。この句、島の西に広がる東シナ海にかかる虹をみて、島を越えた空間領域を認識してその感動を句のなかに呼び込んでいる。一年の始まりは一年というブロックを越えて、時を重ねてゆく感慨にふけるものである。そうした句を集めてみた。〈人は逝き人は生まれて年新た 恵ひろと〉〈生まれ来て生きて生かされ福寿草 久松敬志〉

 

04/初日記書きたるほかなに用もなし  和学歩
日記のことを書こう。島尾敏雄という作家は戦争中、加計呂麻島呑之浦集落に特攻艇「震洋」隊の隊長として赴任。戦時中も日記をしたため、終戦後、実家の神戸に復員してからも日記を書き綴っていた。終戦の年にはすでに加計呂麻島からミホが密航して神戸にたどり着いて敏雄と結婚している。敏雄は貿易業をいとなむ父のもとにあって家業をつかず学校教師をしていた。毎日職場にでかけるわけではないので家にいることも多い。家では小説を書くか本を読んでいた。多忙ではない敏雄が日々生きている実感として刻印していったのが日記であった。つまりこの句のように「書きたるほかなに用もなし」の日々も多かったのである。敏雄は毎日綴る日記が文学的営為であることは強く実感していた。また表現者にとって日記を書くことはいずれこの日記が読者を持つ、つまり不特定多数の読者が現れることを織り込み済みで書くことを前提にしている作家が多いだろう。日記もひとつの自らが産み出す文学作品のひとつであるのだ。当時の島尾宅は一階に父とその同居人の女性がいて、二階が島尾夫婦の居室だったようだ。敏雄は毎日綴る日記を隠すことなく置いていたので、妻ミホは夫のいない時にその日記を読んでいた。そして敏雄の言語化しない心情に接することがあり、時にその記述に反発して夫の日記に書き込むことがあった。敏雄はその書き込み以前に妻が自分の日記を読んでいることを知っていた。日記は文芸作品といいながらも、日々の実感をつづる場所である。他者性があるようで内語的な吐露もあったろう。敏雄はさにされている日記とはもうひとつ別の日記帳を用意していたという。これは現在のネット上のSNSで目的別にいくつかのサイトを持つ発想とよく似ている。

 

05/初日の出ぬっと灯台アダン林  中村緑子
俳句文芸にとって正月を詠むことは歳時記の中でも独立した項目があるなど、重要なアイテムとなっている。年があらたまってなにかコトをなすたびにそりれは「初」をつけて一年という区切りを大切にするのである。今月の作品ではやはりこのあたらな年を迎えた喜びを作品にしたものが目立つ。引用してみよう。〈天(あま)つ日(ひ)の光り満ちたる大旦(おおあした) 榊原矩明〉〈鈴緒(すずお)振り海原背(せな)に初詣 衣香〉〈賀状絶へ友の便りの星光る 益岡利子〉〈壷仕立て小枝華やぐ去年今年 富山萬壽喜〉
正月の模様も時代と世代によって様相が異なる。いまのネット世代の若い世代にとって年賀状は52円もする高価なメディアとなる。新年の挨拶はLINEで「あけおめ(「あけましておめでとうございます」の略)」を送れば済んでしまう。年賀状を出すことは個人と会社にとって年に一回の挨拶以上の戦略的意味があるという価値観は通じなくなっている。時代はかわり、正月のありようも変化していく。

続きを読む >>

PR

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< November 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM