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  • 2017.07.21 Friday

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    17.06月の特選奄美俳句5選No.21/2017.06

    • 2017.07.05 Wednesday
    • 09:12

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の20回目です。

    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された6月28日から6月30日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

    01. 山百合を手折(たお)りて指の匂いけり           宮山和代

     

    02. 日盛りに木陰に集いムンガタイ               島田香ほり 

     

    03. 川底に白雲沈め鮎走る                                                 中吉頼子     

     

    04. 水の星水の大八州(やしま)の冷奴                             久松敬志

     

    05. 百合玉や太陽(ティダ)の恵み島豊                             石原かね       

     

    --------------------------------------------------------------------

    〈評〉

    01/ 

    02/

    03/

    04/

    05/

    17.05月の特選奄美俳句5選No.20/2017.05

    • 2017.06.05 Monday
    • 08:22

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の20回目です。

    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された5月31日から6月2日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

    01. 黒薔薇り一際(ひときわ)映えて丘の上           平井朋代

     

    02. 春霖(しゅんりん)や畝(うね)に残る廃れ薯(いも)  内野紀子 

     

    03. そてつ咲く腹にものない美しさ                                     原口ふみこ     

     

    04. 赦免花雌花膨らみ紅を抱く                                       中川恵子

     

    05. 群青の色に染まらず飛魚や                                     小川文雄        

     

    --------------------------------------------------------------------

    〈評〉

    01/ 

    02/

    03/

    04/

    05/

    17.04月の特選奄美俳句5選No.19/2017.04

    • 2017.05.10 Wednesday
    • 09:52

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の19回目です。

    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された4月26日から4月28日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

    01. 風光るマングローブの発芽かな      林美津代 

     

    02. 夜桜や異界へ続く扉かな         姫椿 

     

    03. 無骨なる叔父より届く永良部百合   嘉ひろみ     

     

    04. 春眠の汽笛鳴らすや島ばなれ     小川文雄

     

    05. 筆先に少し含ませ春の風       福山史乃  

     

    --------------------------------------------------------------------

    〈評〉

    01/ 

    02/ 

    03/ 

    04/「島ばなれ」という表現に感応する。年度末にあたる3月末は別れの季節でもある。転任、卒業、入学…と人生の転機を迎える人が奄美から離れていく。この群島から旅立つのは、航路か空路に限られている。この句は航路による別れの場面を描いている。神戸も港町なので岸壁での別れは実感として分かるが、奄美の人たちにとってこの時期の別れは、人生の大きな節目として、万感胸に迫るものとして神戸よりはるかに大きな意味をもつ。島のひとたちにとって毎日見慣れている入船出船なのだが、この時期の入港・出航は独特の光景と情感をうみだすのである。春眠をさますような汽笛が、別れの季節であることを喚起させている。

     

    05/ 

     

    17.03月の特選奄美俳句5選No.18/2017.03

    • 2017.04.07 Friday
    • 09:04

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の18回目です。

    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された3月29日から3月31日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

     

     

    01. 三寒四温母の語りし一日(ティ)寒(ビィサ)  石原かね

     

    02. 染め糸を待つや泥田の水温む          恵ひろこ

     

    03. たらちねに背を押されしや春の道          浜手増美

     

    04. 一線のやがて一点鳥雲に                  宮山和代

     

    05. 豊作の甘蔗刈り語る大湯船               窪田セツ  

     

    --------------------------------------------------------------------

    〈評〉

    01/気候と気温が不安定になる初春の時期。奄美のとあるシマ(集落)では、一日(ティ)寒(ビィサ)と呼ぶのだという母の発言を句にまとめている。奄美の言葉は、復帰後の急速な本土化によって、失われつつある。最近では奄美内部から危機感がうまれ、さまざまな方法によって残そうとしている動きがある。言葉の継承は風土と場所と切り離すことができない。シマという場所があるかぎり、亡失する言葉もあるだろうが、またあらたなシマユムタも生まれてくるだろう。

     

     

    02/かつて奄美を代表する産業のひとつだった大島紬。原料の糸を泥染めをすることで、付加価値をつけてきた。近年は日本人の和装ばなれによって、かつての勢いはなくなってしまった。黄金時代は1970年代までと言われる。織り機での作業は奄美の女性の大切な仕事で、高度な技術が要求される。機織りは、貴重な現金収入にもなった。糸を泥田につけて染めるときに、水温の変化を感じとる。これもまた奄美ならではの季節の感受である。

     

     

    03/「たらちね」は母の異語(言い換え言葉)である。この句には、なにもないおだやかな日常の光景が広がっている。01の句もそうだが、女性俳人には、みずからの母、あるいはもうすこし普遍化した妣を詠うジャンルが存在する。そこに出てくる母/妣は、ふんわりとした佳き思い出につつまれた母性そのものの具現であることが多い。一転、詩の世界でわたしの周辺の女性詩人たちが描く母/妣は、おなじ女性という種族、同じ母であるであるからこそ、格闘すべき対象とみなしているので、なかなか詩作品の中には出てこない傾向がある(反対に父は、異性の肉親なので、概念化しやすいのか詠まれている)。俳句における母/妣の表現は徹底して読み込みたいジャンルである。

     

     

    04/渡り鳥をこの目でしっかりと見たのは、去年のことだった。詩の会で、兵庫県たつの市にいた時、揖保川の上空を雁の群れに遭遇した。都会(神戸)に住み続けていたら、渡り鳥を見る機会はほとんどない。鳥たちは都会の上空を避けているのであろうか。この句、〈一線→一点→鳥雲〉と表現を変えてゆき、遠ざかる鳥たちを巧みに捉えている。鳥雲は春の季語。奄美群島でも実感をともなって詠むことができる季語である。奄美の俳人たちはこうして絶妙に季語を駆使している。

     

     

    05/今年はサトウキビ(甘蔗)が豊作だった。去年奄美に大きな台風が襲来することがなかったことなどが、豊作の故だと報道されている。それを悦ぶ声が湯船のなかで響いている。同じ豊作でも、二年ぶりに域外に移出が可能になったタンカンは、豊作ゆえに値崩れしている。市場原理が働いているのである。生産者は複雑な気分だろう。甘蔗が豊作であることへの悦びは、国家の政策によって、国産の甘味資源の確保と保護のため、買取価格が一定であり、価格の値崩れはないことが背景にある。奄美のシマンチュの笑顔の向こうに政治がある。

     

    17.02月の特選奄美俳句5選No.17/2017.02

    • 2017.02.28 Tuesday
    • 09:25

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の17回目です。

    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された2月22日から2月24日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

     

     

    01. 時雨(しぐぐる)や灰(かい)白色の名瀬港  寿山悦子

     

    02. 島裏の海鳴りひびく大寒波           石原兼

     

    03. 甘蔗の花ハーベストに呑まれゆく          窪田セツ

     

    04. 水ゆるむ阿・吽(うん)で遊び学び哉    奥直哉

     

    05. 冬うらら彼方横当島の見ゆ               紅ベンケイ 

     

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    〈評〉

    01/色彩を全面に出した作品。朦とした一日。細かい雨がふって見える景色がモノトーンになっている。それを「灰白色」と表現する。たくみである。そしてこの句には場所が詠まれている。湾として地形的に完結している名瀬港。全体がモノトーンで物憂げな気象で占められている。〈荒(すさ)ぶ風真夜に目覚めて冴返る 榊原矩明〉もまた自分を取り巻く自然や環境と自ら(作句しようとしている主体)が溶け合った作品。

     

    02/「島裏」という表現が、島に生きるシマンチュにとって実感を伴い、リアリティがある。さほど大きくない島(例えば与路島)には人が住む集落がある場所ではなく、山を超えた裏港とよばれる緊急時の港湾施設があることがある。そこは見えないが、島に生きるひとにとっては、常に感じる場所なのである。その島裏の海が鳴りひびいているという。想像力を喚起させ、詩情を感じさせる作品である。寒さがまだ残るこの二月。〈緋寒桜一重一瓶携えて 當光二〉 奄美に咲くサクラは真冬の花。花見をするには寒すぎるのかもしれない。緋寒桜の花は桃の花のように色が濃い。

     

     

    03/甘蔗、つまりサトウキビのこと。1月末から3月にかけて奄美はキビ刈りのシーズンになる。かつて近世の薩摩藩統治時代は、甘藷を刈り取って絞り、砂糖(さた)小屋にこもり砂糖にして樽詰めするまでがシマンチュに課せられた仕事であった。いまは製糖工場に刈り取った甘藷を持ち込むだけの原材料提供のみとなっている。ハーベストというのはキビ刈り専用機で、この機械が導入されることで随分と労働が楽になった。甘藷は天を裂くようにまっすぐに伸びる植物である。その花ごと機械に吸い込まれてゆく姿を描いている。キビ刈りが終わると季節がぐんと進む。ほかに農作業が詠まれている句に〈春寒や暴風ネット作物(つくね)守る 山すみれ〉。この季節、徳之島と沖永良部島で馬鈴薯を風から守るネットが張られる(特に沖永良部島のネットは数も多く几帳面に張ってある)。自然と農を詠み込むのも俳句という文芸の面白さである。

     

    04/三月の奄美は一足飛びに暖かい気候になる。「水ぬるむ」は春の季語。そのゆるやかな語感と共に詠われているのは、子どもたちの姿。「阿・吽の呼吸」が通じる慣れ親しんでいる仲間が遊んで学んでいる光景が目に入っている。それをゆるやかに眺めている作者。子どもたちの親ならその学びも遊びも見守りと監視の対象となろうが、その子たちが孫の世代なら緩やかな視線になるのかもしれない。「春」が詠われた句に〈廃校の賑はひし頃の春の夢 坂江直子〉がある。抒情と追憶の香り。

     

    05/「横当島」は奄美大島の北西60kmの距離にある無人島。大島郡ではなく十島村に属している(戦前は大島郡に属していた)。晴れた日は大島から見える。冬は空気が澄んで視界が良好になる日があるからだろう。この島に上陸するのには準備が必要で、めったに行けるものではない。かすかに見える島を眺めながら、海向こうの〈彼方〉の存在を確かめることによって、日常の中にある〈彼方〉が表出されていく。そんな効果を産み出すのが、見えたり見えなかったりする島なのだろう。

     

    17.01月の特選奄美俳句5選No.16/2017.01

    • 2017.01.31 Tuesday
    • 09:51

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の18回目です。

    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された1月25日から1月27日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

     

     

    01. ガジュマルの木の間つたひの初茜       碩よしえ

     

    02. そそけ立つ枯れ松の骨山眠る         恵ひろと

     

    03. 彼方此方の山肌染めし寒緋桜               森美佐子

     

    04. 今宵またしずかに残り屠蘇を呑む       奥直哉

     

    05. ライト浴び横切るウサギ急停車            花すずき  

     

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    〈評〉

    01/年があらたまって俳句の世界では、新年を詠む季節となった。歳時記でも「新年」の項を独立させて編集している。奄美の風景をつくっている代表的な樹木のひとつがガジュマル(榕樹)。その圧倒的な存在感は、島に生きる奄美のひとたちの根太さをそのまま表象しているかのようだ。初茜とは「元日の朝の茜空。明けきらないのであたりはまだ薄暗いさま」。ガジュマルの葉づたいに朝の陽光が差し込んでくる。島ならではの新年の光景である。こうした島の光景のなかから新年を見つけ出す感性がいい。あと新年を詠った作品に〈万象(ばんしょう)の光り満ちたる大旦(おおあした) 榊原矩明〉〈三味の音に趣味の島唄去年今年 むねの花〉〈正装して唄ふ民謡淑気満つ 島袋京子〉

     

    02/かつてに比べるといくぶん収まったと島の人はいうが、島の山あいを車で移動していると、やはり目にとまってしまうのが、リュウキュウマツの枯れた姿。山頂ふきんの松が被害にあっていると、胸がすくむ思いがする。「そそけ立つ」という表現にリアリティを感じる。「山眠る」は冬山を擬人化した季語。奄美の山や杜は常緑樹で構成されているために、本土の冬山のように落葉樹の裸木はみあたらない。その代わりといっては妙だが、松枯れの木(ずっと落葉している)が、冬山の様相を際立たせているとも見ることができる。

     

    03/「彼方此方」という表現が、おもしろい。具体的にどこを指しているというわけでもなく、「だいたいこのあたり」という日常生活の中で計測する場所感が反映されている。「寒緋桜」は奄美に咲くサクラ。花の見頃は一月から二月という真冬の季節なので、本土のような花見の習慣は、奄美には根付いていない。つまりサクラの樹下でシートを敷いて花見の宴をはるには寒すぎる季節ということである。それでも寒緋桜が山肌を染める景色は心を和ませるものだ。寒緋桜=緋寒桜の句をもうふたつ。〈緋寒桜謳う桜に散る桜 當光二〉〈緋寒桜余生といわず今日を生く 窪田セツ〉

     

    04/閑かに詠われ、閑かに鑑賞したい句である。正月というハレの時空で、家族・親族が集まってにぎやかに過ごす。そんなときだからこそ、家の中の緩と慢の区切りがはっきりする。ふと訪れた閑かな一瞬。そういえば屠蘇が残っていた。屠蘇は正月を正月らしくさせる道具立てのひとつ。それをしみじみ飲んでいる。心は満悦していることだろう。

     

    05/奄美の新聞(南海日日新聞)を読んでいると、奄美大島・徳之島の固有種であるアマミノクロウサギが、車に轢かれて死んでいるさまが報道されている。奄美の車道を走ってるとすぐ気づくのは、奄美の鳥たちが突然とびだしてきて、車の前を勢いよく横切るその姿である。まるで車など眼中にないかのような動態である。アマミノクロウサギが車に轢かれるのは夜中なのだろうか。奄美のひとたちはこの生き物が奄美の固有種であることを熟知しているし、大切にも思っているので故意に轢くことはないだろう。この句の作者はアマミノクロウサギが横切ってくれただけで轢くことはなかったようだが、誰しも経験しそうな場面を巧みに句に昇華させている。

     

    さらに今月は、すべてシマグチを使った短歌作品を一首紹介しておこう。〈天気ぬイッチャ(良い天気)ウムンクサシイ(里芋の草取り)ウキャウキャシュリ(心がうきうきする)ムカデもウキャウキャ?ハグエーウッブティタ(あら・びっくりした)柳原陽子 〉

    12月の特選奄美俳句5選No.15/2016.12

    • 2017.01.13 Friday
    • 01:48

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の15回目です。

    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された12月28日から12月30日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。暖かい奄美もさすがに季節は冬に向かっています。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

     

     

    01. 年の瀬やヒャールガヤッサと霊おくる  石原兼

     

    02. 朝刊のかすかな音や冬の路地          坂江直子

     

    03. 綿入の妣の結び目解かずおく            登山磯乃

     

    04. 松枯れに彩(いろ)なき島や冬の海       和学歩

     

    05. 蛾眉(がび)なれど凛し中天寒の月       久松敬志  

     

    --------------------------------------------------------------------

    〈評〉

    01/「ヒャールガヤッサ」とはなんだろう。丁寧に、心を込めてという意味だろうか。シマグチを有効に使った句である。「あまみ文芸」俳句欄に年に数句、シマグチだけの句、あるいは単語を使った句が掲載される。シマグチはまさにシマ(集落)の言葉なので、正確な表記と意味はその集落の人でないと共有されない。ヤマトで作られる俳句も関西弁や東北弁で書かれた俳句がある。そうした俳句は地元の言葉で書こうとする作家の意思がまずあり、その価値観に従って作句される傾向がある。殆どの俳人たちはいわゆる標準語(口語、文語にかかわらず)を使って書いている。こうした不文律の言語使用法が支配的ななかで、シマグチを使うのは、1.シマグチでなければ表現できない内容であること あるいは 2.シマグチを使うことで差異化を図ろうとする作者の意図が前面に出ている句、ということになろう。ありていにシマグチや関西弁を使うと、その恣意性が鼻につくが、この句は意味が分からないなりに、句として成り立っているといえよう。

     

    02/若者は新聞を読まない。だから将来こうした早朝の光景は廃れていくのかもしれない。“景”が浮かんでくる句である。新聞配達は朝が早い。そして冬は音がよく響く。島尾敏雄の随想に名瀬で暮らしていた時、なぜか新聞が配達されない日が長くつづいたので不審に想っていたところ、ライバル紙を配達する少年が、島尾宅に配られた新聞を抜いていたことが判明したとの内容が綴られていた。いまでも人口12万人の奄美群島には二紙の奄美だけ発行されている日刊紙がある。それにプラスして県域紙(兵庫県でいえば神戸新聞のような)がある。奄美はまだまだ新聞媒体による情報伝達が有効な地域なのである。

     

    03/“Mother”を意味する漢字の中でも、「妣」は亡くなった母(あるいは身内の女性)を意味する場合がある。あるいは母性を胚胎している根元的な女性をイメージして使われる場合もある。この句は前者であろう。家庭内で引き継がれる家事のなかで、亡き母が裁縫したことがわかっている綿入れをながめて、その運針のさまをみて、いとおしくなり、そのままにしておくという内容。こうした句は、家事をこまめに毎日こなしている人であるからこそ生まれる作品世界なのである。日常生活の中で、句材が豊富に潜んでいるという一例であろう。亡き人を想うことに関して今月は〈葬儀ミサ御堂に一羽冬の蝶 里原和子〉という句もあった。

     

    04/奄美群島は松枯れの被害が大きい。いちど枯れてしまった松(琉球松)は、その樹木のありように、なにかの色という名をつけるということさえ躊躇するほど、いたいたしい姿になっている。それを「彩(いろ)なき」という表現をあて、松枯れした松ばかりではなく、島そのものも、うら寂しく想ってしまう作者の気持ちが「冬の海」を引っ張り込むことで、うまく表現されている。ゆたかな樹林がひろがる奄美の杜のなかにあって松枯れはよく目立つ。周囲の濃い緑色の樹林群のなかで、松ばかりが枯死してしまうことへの情感も込められている。色彩といえば今月は〈空よりも色濃き海や冬日和 宮山和代〉という句にもであった。

     

     

    05/かつて美人の言い換えにも使われた蛾眉(がび)という表現。女性の美しく整ってカーブしている眉は、見る者もその美麗さに、眉だれの賛美だけに終わらせたくない心情となるのであろう。しかしこの句の場合の「蛾眉(がび)なれど」という表現は「満月のように丸々としていなく細いさまだけど」といった意味なのだろう。中天に浮かぶ三日月はそのあやうさの魅力ゆえにひとの目を釘付けにする。古今、月は多くの俳人たちに句を作らしめている。

     

     

     

    11月の特選奄美俳句5選No.14/2016.11

    • 2017.01.09 Monday
    • 08:48

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の14回目です。
    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された11月30日から12月02日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。深まる秋が詠いこまれています。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

    01.小さな手夕日に染まる草紅葉        向井エツ子

     

    02.曙夢の忌や曙夢が遊びし浜の蟹   緑沢克彦

     

    03.世之主忌六百年の城の跡          中山好風

     

    04.冬めくや海鳴り響き風白し       白粉花

     

    05.圧政さえ耐え来し島ぞ野菊咲く     西のり子

     

    --------------------------------------------------------------------

    〈評〉

    01/「草紅葉」とは美麗な表現。一面の草原が紅葉しているさまは都会に住んでいるとなかなかお目にかかれない。紅葉は見上げる樹木ばかりではなく、視線をおとして地上からも秋の色彩のメッセージを読み取ることができるということ。「草紅葉」といえば「草迷宮」を想起する。泉鏡花原作で寺山修司かせ映画化したあの作品である。一見総覧しやすくみえる草々の世界ではあるが、変容(紅葉)したり、立ち入れば混迷が待ち受ける(迷宮)の世界だったりする。

     

    02/奄美の知的先達として深く記憶に刻まれている昇曙夢(1878-1958)。ロシア文学者としてばかりではなく、奄美の復帰運動においてその精神的支柱を担ったひとりとして、いまでも奄美のひとに敬愛されている。今月は曙夢の命日(11月22日)にあたるため、「曙夢忌」の季語が使われた作句が掲載されていた。引用句のほかにも〈曙夢の忌や小島の沖を巨船ゆく 作田セツヨ〉〈「日本復帰」知らぬ子多し曙夢忌かな 中吉頼子〉〈曙夢の忌や望郷の海青く澄み 吉玉道子〉などの句も佳い。

     

    03/島に刻まれた歴史は永く記憶される。ちょうど六百年前に、沖永良部島を統治していたとされる「世之主」のことを詠んだ句。北山王国の王子として島で生まれ育ち島の統治者となった。今年1月、世之主神社(和泊町)を訪れた時、かつて鬱蒼と茂っていた樹木がとりはらわれていた。記念式典をするために整地されたのだが、そこに顕れたのは、堅牢な琉球式城郭であった。ここで世之主は北山王国の領主として島を統治していたのだが、悲劇が訪れる。沖縄本島を統一した中山の軍船が和睦のために島に向かったところ、そのメッセージがうまく伝わらず、世之主は自害してしまった。その悲劇ゆえにこそ、島の人たちにいつまでも記憶されているのであろう。それにしても六百年前の歴史を今ごとにように顕彰する営為は驚嘆すべきである。沖永良部島ならではの句をもうひとつ。〈車座の一重一瓶豊の秋 福山史乃〉

     

    04/冬に近づくと、奄美の海はどのように様相をかえていくのだろう。わたしの実家は神戸市垂水区の塩屋という場所で、海沿いの町だっので、一年中海を感じながら生きていた。とりわけわたしは冬の海を愛した。潮目がかわる場所ごとに海の色がことなり、多彩な色調の変化を見せてくれる。ただ国道と鉄路が海と住宅街の間を走っているので、海の音は聴こえない。海と遮蔽するものがない場所ではきっと海鳴りが直截に響き、季節の移ろいを感受するのだろう。〈新北風や島を吹き抜け海へ果つ 窪田セツ〉も奄美ならではの季節感が出ている。

     

    05/島(奄美)の歴史は、苦しみ、悲しさの記憶を、ひとびとの心のなかに、深くたくわえることによって、伝えてきた。そのひとびとの過去(歴史)への思いは、言葉・記録による伝承ではなく、心から心へと伝承していくので、しっかりと伝わっていく。島の歴史は学校空間で学ぶ機会はほとんどなく、シマンチュの身体に刻まれた記憶がたいせつな媒介となるのである。圧政の歴史は決して忘れられることはないだろう。島がそこにあり、島にひとびとが生きている限りは。この句、野菊を詠んだことで、ひとびと=民の心情をよく代弁している。

    10月の特選奄美俳句5選No.13/2016.10

    • 2016.11.06 Sunday
    • 09:34

     

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の13回目です。(二年目に突入しました)
    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された10月26日から10月28日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回はまだ気温は高いものの、秋の気配がする奄美の自然が詠われています。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

    01.アダン熟るこの地に生きる覚悟して         武田吉子

     

    02.差羽舞ふ気骨稜稜目的地           徳久綾子

     

    03.あと寝具足す母の床にも秋の風            政久美子

     

    04.台風の眼に支柱かつぎし父を見る           中村緑子

     

    05.去りがたし月夜の杜(もり)の黒うさぎ      林美津代

     

    --------------------------------------------------------------------

    〈評〉

    01/俳句という文芸は時として、境遇を歌いこむ「心の器」を示す機能を果たすことがある。とりわけ島嶼である奄美群島の住民は、この島/シマ(集落)に生き続けていくことの覚悟を、ふとした時に強く感受する機会が訪れるのだろう。そのキッカケは個人によってさまざまで、この作者にとってのそれはなんであったかは伺い知ることは出来ないが、「アダン熟る」との表現から推し量ると、シマの生活が長くなったことをしみじみとかみしめつつ、この句が出来上がったのだと思われる。この句以外にも〈この島に絆深むるアダンの実 中村恵美子〉も。

     

     

    02/秋のこの時期、小型の鷹である差羽(サシバ)が奄美群島を経由して南へ渡っていく(奄美にとどまる個体もいる)。集団で飛び立つ時、「鷹柱」をつくる。上昇気流に乗って螺旋状に集団で上昇するさまを言う。上空にさしかかったところで一気に次の目的地に向かって飛んでいく。その姿が「気骨稜稜」なのだという。そしてその表現を発してい作者もまた雄々しい心意気の持ち主なのだろう。「気骨稜稜」なひとなのだ。この差羽(サシバ)・鷹の渡りについて奄美の俳人たちは「季語」としてよく使い込んでいるさまが見えてくる。〈ほつれ髪の野良着の頭上鷹渡る 宝田辰巳〉〈鷹渡る頭をあげよと亡夫の声 森美佐子〉

     

    03/もはや夏の薄いかけ布団だけでは心もたなくなってきた。秋は確実に押し寄せてくる。日常のなかの、ちょっとした変化を俳人たちは見逃さない。この句、母を観察する対象としてではなく、身内をみまもる優しさがあるからこそ、「母の床」に着目したのであろう。

     

     

    04/台風の目というのを少年時代に見たような気がするが、あれはきっと幻視だったのだろうと思っている。この作品の中の父は台風の目という風雨のいっとき収まった時を見計らって、支柱をかついで家の補強をしているのだろう。なにしろ奄美の台風ときたら堅牢と思われるコンクリート造りの建物も軋ませるのだから、その猛威は凄まじい。必死に家を護ろうとする父へのオマージュとしてこの句を読んだ。

     

    05/南海日日新聞を読んでいると、奄美の黒ウサギが車に轢かれて死んでいる記事が写真つきで掲載されている。ヤマト(本土)の新聞では屍体が掲載される写真つき記事はめったにお目にかかれない。ここにはシマンチュウの死生観が反映されていると想う。つまり生と死はいつも(可視的にも)同居しているのだ。さて、島では人と黒ウサギの生活圏が異なるので、シマンチュウでもめったに黒ウサギと遭遇することはないだろう。そうした事実はともかくとして、自分たちと同じ島に愛らしい黒ウサギが住んでいることへのあらためての発見と自覚。月夜が見事な晩に、ひょっとしたらこの杜のどこかで黒ウサギもまた同じように月を愛でているかもしれないという美しい叙情の世界。ロマンをかきたててくれる。

     

     

    9月の特選奄美俳句5選No.12/2016.09

    • 2016.10.08 Saturday
    • 09:35

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の12回目です。(今回でちょうど一年が過ぎました)
    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された9月28日から9月30日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回も奄美の季節感がよく出ています。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

    01.台風や山の匂いの押し寄せる         原口ふみこ

    02.秋の夕念仏(ミンブチ)の竹打ち踊り   野山詩音

    03.あと一句ひねる夕べのはたた神    中村恵美子

    04.唄踊り太鼓響(とよ)もす夜長かな    益岡利子

    05.迷走台風漁師の腕組み解けぬまま   緑沢克彦

     

    --------------------------------------------------------------------

     

    〈評〉
    01/九月は台風の季節である。奄美に住むということは、台風とともに生きるというこであり、奄美の俳人たちは台風というこの季節の最もたる非日常の事象をいかに作品に取り込むかについて、常に念頭にあるだろう。この句が成功しているのは、台風を視覚でとらえるのではなく、嗅覚(山の匂い)で表現したことである。しかも「押し寄せる」のである。ひたひたと台風の猛威が匂いで押し寄せてくる。この目に見えないじわじわと圧迫してくろもの、中世では〈もの〉と名ずけて恐れていた(「ものぐるおし」「ものさびしい」の“もの”)。台風の句に〈台風も運命(さだめ)の一つ島暮らし 宝田辰巳〉〈台風のうなりにひとり身を置きて 永二てい女〉

     

    02/念仏(ミンブチ)の芸能が奄美群島で継承されている沖永良部島の作品。三十三回忌でこの念仏(ミンブチ)のうたと踊りがもよおされる(最近では新聞記事になるぐらい希少な伝統行事になっている)。奄美では珍しい仏教的要素がある民俗行事である。独特の節回しと竹を使った踊りが特徴。俳句は文字が限られているので作品では念仏踊りがあるとの描写だけに終わっているが、俳句の鑑賞は踊りが行われている後景に「秋の夕」が広がっていることの叙情性を読むことにおいて、作品が作品として成り立ち文芸となるのである。秋といえばこの句も紹介しよう。〈秋の空見惚れるほどの青さかな 宗隆子〉

     

    03/俳句は気象の変転を待ち構えていたように、作品化していく。「はたた神」=激しい雷にみまわれたことに刺激されてもう一句作ろうと想像意欲が湧く。俳句には作句に至る動機そのものを句に昇華させるというジャンルがあることを、この句で確認できた。

     

    04/「八月踊り」は集落単位によって踊り、ティジン(手持ち太鼓) 、歌詞がことなり、集落ごとのアイデンティティを知るのには格好の素材である。「響(とよ)もす 」とは古雅な表現。 「おもろそうし」に頻出する。この句、この「響(とよ)もす 」を使ったことで句の持つ深みが加えられた。シマンチュウにとって太鼓が鳴り出した途端、こころ踊るものがあるのだ。島の芸能を呼び込んだ句にはほかにも〈秋の空や三味の音透きて唄遊(ウタアシ)び 島田香代子〉〈月光や琴の調べといきゅにゃ加那 花木木〉

     

    05/時に 「あんた、いったいなにしたいねん」と突っ込みを入れたくなるような台風にであったりする。行ったり来たり戻ったり進んだり。まるで性根が座っていない人間の行動のようでもある。そんな計測不能なかつ経験知がいかされない迷走台風を俳句に呼びこむ時、そこになにを対置させるかで、その俳句のいのち(価値)が決まる。この句、腕組みをする漁師を登場させたことで、作品が構造的になり、〈物語性〉が加味された。巧みな作家である。

     

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