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2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の20回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された5月31日から6月2日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)
01. 黒薔薇り一際(ひときわ)映えて丘の上 平井朋代
02. 春霖(しゅんりん)や畝(うね)に残る廃れ薯(いも) 内野紀子
03. そてつ咲く腹にものない美しさ 原口ふみこ
04. 赦免花雌花膨らみ紅を抱く 中川恵子
05. 群青の色に染まらず飛魚や 小川文雄
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〈評〉
01/不思議で魅力的な光景を詠っている。「黒薔薇」という存在だけでひとつの緊張あふれる場が現出されている。それが植わっているのか、どこかの家に飾ってあるのか。この時期、地生えの薔薇が咲き誇る季節でもある。俳句はひとつの光景を提示することによって、その光景の背後にある記号性や、物語性を読者とともに想起させる「間テキスト性」的な文芸であると言える。想像力を喚起させる作品は佳句である。
02/「菜種梅雨」とも言われる「春霖」。この時期は馬鈴薯の出荷も終わったころだろうか。二月あたりから神戸のスーパーには沖永良部、徳之島産の馬鈴薯が並ぶことになる。「廃れ薯」とは商品にならず畠にそのまま捨て置かれた馬鈴薯だろうか。出荷という畑地にとっての大事業の後に残っているものを見逃さず句にしたてる視線こそ、詩をなりたたせる歌詠みのまなざしであろう。叙情にみちた句世界である。
03/一読しただけでは分かりにくい句である。二度三度と見直すと、句意が浮かび上がってくる。この「南海文芸」に掲載されている俳句にはいわゆる難解句はほとんどない。写生を基本とした明快な句世界が展開している。俳句は〈もの〉を描写することによって叙情をかもしだす文芸だが、この句のように「美しさ」という美称を招き寄せることもある。蘇鉄の花あるいは実(ナリ)のことなのだろうか。その美しさが「腹にものない」と対比されている。作者、思うところがあったのだろう。
04/「赦免花」とは蘇鉄の花の異名。花が咲いて紅を抱くという。紅とはいったいなんだろう。ナリ(実)なのだろうか。「膨らみ」が艶っぽい表現になっている。蘇鉄はかつて救貧作物でもあった。「蘇鉄地獄」という表現と時代があり、蘇鉄の実どころか、蘇鉄そのものを食べるしかない追いつめられた飢餓状態に奄美は追いやられたことがある。そのナリもそのままでは食べられない。毒ぬきをしないと、中毒になってしまう。
05/鮮やかな句である。海の色を群青と表現しているのが良い。その群青に染まった海に飛魚がとけこまず精一杯泳いでいる。群青の海も飛魚もいきいきとしている。生を謳歌している。奄美は島嶼世界である。海は身近であるが、日常生活の中に海の様子と、その海に生きる魚たちにまなざしをむけで作句するのはは、ひたすら俳人の感性である。こういう佳句を読むと、心のなかも群青にそまってさわやかになる。