9月の特選奄美俳句5選No.12/2016.09

  • 2016.10.08 Saturday
  • 09:35

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の12回目です。(今回でちょうど一年が過ぎました)
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された9月28日から9月30日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回も奄美の季節感がよく出ています。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

01.台風や山の匂いの押し寄せる         原口ふみこ

02.秋の夕念仏(ミンブチ)の竹打ち踊り   野山詩音

03.あと一句ひねる夕べのはたた神    中村恵美子

04.唄踊り太鼓響(とよ)もす夜長かな    益岡利子

05.迷走台風漁師の腕組み解けぬまま   緑沢克彦

 

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〈評〉
01/九月は台風の季節である。奄美に住むということは、台風とともに生きるというこであり、奄美の俳人たちは台風というこの季節の最もたる非日常の事象をいかに作品に取り込むかについて、常に念頭にあるだろう。この句が成功しているのは、台風を視覚でとらえるのではなく、嗅覚(山の匂い)で表現したことである。しかも「押し寄せる」のである。ひたひたと台風の猛威が匂いで押し寄せてくる。この目に見えないじわじわと圧迫してくろもの、中世では〈もの〉と名ずけて恐れていた(「ものぐるおし」「ものさびしい」の“もの”)。台風の句に〈台風も運命(さだめ)の一つ島暮らし 宝田辰巳〉〈台風のうなりにひとり身を置きて 永二てい女〉

 

02/念仏(ミンブチ)の芸能が奄美群島で継承されている沖永良部島の作品。三十三回忌でこの念仏(ミンブチ)のうたと踊りがもよおされる(最近では新聞記事になるぐらい希少な伝統行事になっている)。奄美では珍しい仏教的要素がある民俗行事である。独特の節回しと竹を使った踊りが特徴。俳句は文字が限られているので作品では念仏踊りがあるとの描写だけに終わっているが、俳句の鑑賞は踊りが行われている後景に「秋の夕」が広がっていることの叙情性を読むことにおいて、作品が作品として成り立ち文芸となるのである。秋といえばこの句も紹介しよう。〈秋の空見惚れるほどの青さかな 宗隆子〉

 

03/俳句は気象の変転を待ち構えていたように、作品化していく。「はたた神」=激しい雷にみまわれたことに刺激されてもう一句作ろうと想像意欲が湧く。俳句には作句に至る動機そのものを句に昇華させるというジャンルがあることを、この句で確認できた。

 

04/「八月踊り」は集落単位によって踊り、ティジン(手持ち太鼓) 、歌詞がことなり、集落ごとのアイデンティティを知るのには格好の素材である。「響(とよ)もす 」とは古雅な表現。 「おもろそうし」に頻出する。この句、この「響(とよ)もす 」を使ったことで句の持つ深みが加えられた。シマンチュウにとって太鼓が鳴り出した途端、こころ踊るものがあるのだ。島の芸能を呼び込んだ句にはほかにも〈秋の空や三味の音透きて唄遊(ウタアシ)び 島田香代子〉〈月光や琴の調べといきゅにゃ加那 花木木〉

 

05/時に 「あんた、いったいなにしたいねん」と突っ込みを入れたくなるような台風にであったりする。行ったり来たり戻ったり進んだり。まるで性根が座っていない人間の行動のようでもある。そんな計測不能なかつ経験知がいかされない迷走台風を俳句に呼びこむ時、そこになにを対置させるかで、その俳句のいのち(価値)が決まる。この句、腕組みをする漁師を登場させたことで、作品が構造的になり、〈物語性〉が加味された。巧みな作家である。

 

録音情報10/松山美枝子さん 1999年録音

  • 2016.09.20 Tuesday
  • 09:15

上村藤枝さんなきあと、カサン唄の唄い手として、高く評価される松山美枝子さんの歌声です。

1999年に名瀬市(当時)で収録しました。唄・松山美枝子さん、ハヤシと三線・福山幸司さんです。

この二人のコンビとして収録できたのは、至福のいたりといっておきましょう。

(トラックナンバー、曲目、演奏時間の順)

 

003. 朝花節           (03:22)

 

005.   長朝花節        (03:57) 

 

007.   俊良主節        (03:41)

 

009. 黒だんど節     (02:48)

 

011. 花染節           (02:06)

 

017. 請くま慢女節  (03:13)

 

022. コーキ節        (02:19) TAKE01

 

025. コーキ節        (02:18) 

 

027. らんかん橋節  (04:12)

 

029. 野茶坊節        (03:30) TAKE01

 

031. 野茶坊節        (03:46) 

 

033. 長雲節           (03:03) TAKE01

 

035. 長雲節           (03:08) 

8月の特選奄美俳句5選No.11/2016.08

  • 2016.09.07 Wednesday
  • 20:49

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の11回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された7月27日から7月29日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今月は秀句がいくつかありました。奄美は夏が永く、この季節こそ奄美が奄美らしくなるためかもしれません。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

01.熱帯夜ダリの絵のごと溶けかねむ              田川和江

02.姉と手をつなぎてをりし終戦日           古田律子

03.浜木綿(はまおもと)大海原の先見つむ       母子草

04.一日を素のまま生きるゑのこ草               泉直哉

05.凪の日を夜釣りに誘う友来たる                 和学歩

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〈評〉
01/ちょうど関西では「ダリ展」が開催されている。枝にぶらさがるぐんにゃりと曲がった時計はダリのシュールレアリスム的手法で描かれた絵としてよく知られている(ダリは溶けるチーズをみて発想したそうだ)。「〜ごと」と直喩で表現されているこの句は、難しい構造ではない。しかし、暑い夏の夜の情況をよく表現しているといえよう。ちなみにこのぐんにゃりと曲がった時計が兵庫県立美術館のミュージアムショップで売られていた。そんなに高くない値段で。

 

02/女性は高齢になっても(きょうだい仲が悪くなければ)妹は姉の手をにぎりしめ、姉は妹の手を握り返す、といった光景がそんなに違和なくありそうである。しかも日本が負けた8月15日。ふたりが生きていた生の軌跡が握りあった手のあたたかみに込められているのだろう。あの日から71年。戦争を知っている世代は年齢をかさねるものの、戦争体験はいつでもリアルにフラッシュバックするにちがいない。

 

03/「はまおもと」とはシマの言葉なのだろうか。花の向く先が大海原なのだという。奄美は山中にはいれば海の気配が薄くなったりするものの、やはり島に生きるということは、どこにいても臨海の気配のなかで生きるということである。わたしの実家は神戸市垂水区塩屋という場所で、須磨から西に向かうと、臨海の気配が濃くなる。海を見るという意識だった行為をしなくとも海とともにある心の景色は濃い。そんな臨海の環境にいるからこそ、こうした句が生まれるのだろう。

 

04/力の抜けた心的環境ゆえにこそ生まれた句境であろう。どこにでもある、いつだって見ることができる植物である「ゑのこ草」に、自らの生を仮託してつくられたこの句は、作者の生き方そのものなのであろう。きわだって異なる植物でも、きわだって特別に鑑賞されるわけでもないこの草にこそ、自ら感情移入できる対象であった。

 

05/俳句は十七音字で成り立っている(例外もある)ので、助詞の使い方ひとつで、凡庸になったり、月並みになったり、類想句を思い浮かべたりする。この句も構造は既視感のする範疇に入るのだが、「凪の日を」の「を」の使い方が際立って、ひとつの句として立ち上がっている。「を」の代わりに「に」や「は」「の」を使えば凡庸となってしまい、切れ字を使うと大仰な句となり私は見落としたであろう。「を」を使うことで、「凪の日」がこの句のなかで屹立し、中七、下五と拮抗しうる内容となっていることに気づくだろう。考えたものだ。

FMわぃわぃ「南の風」復活へ/9月5日12日放送

  • 2016.09.03 Saturday
  • 09:55

三月以来途絶えていたFMわぃわぃ「南の風」奄美篇が復活にむけて始動します。

 

(FMわぃわぃは、3月末をもって地上波の免許を総務省に返上しました。4月からはインターネット放送局として再出発しています。以前からインターネットでも聴くことができたので、それは同じ環境です。考えてみれば、これからの20年を考えると、インターネットメデイアが主流になっていくのかもしれません。総務省管轄のメディア〈テレビ・地上波ラジオなど〉は国家の規制と監視のもとに置かれているために、昨今のテレビ・メディアに対する当局・自民党の締めつけをみれば、いかに許認可電波メディアが萎縮していることが手に取るようにわかります。インターネットメデイアは電波媒体でまだ自由な立場で発信することが可能です。新生FMわぃわぃに期待することにしましょう)

 

9月5日(月)午後1時から生放送をします。55分間番組です。

9月12日(月)午後1時から生放送をします。55分間番組です。

 

9月は2週連続で放送しますが、10月以降は月一回の放送となります。

また、「南の風」は奄美篇だけの放送となります。

 

FMわぃわぃの聞き方は以下のサイトを参考にしてください。

http://tcc117.jp/fmyy/internet/

 

「南の風」は、奄美専門のチャンネルとして再出発します。

放送は、月曜日の午後1時からの55分間番組となります。

 

新生「南の風」は、いままでの奄美を神戸に知らせるというコンテンツに加えて、神戸から奄美に発信するという企画も加えていきます。どうぞみなさん、楽しみになさってください。

 

DJ&パーソナリティーは大橋愛由等が担当します。

 

 

7月の特選奄美俳句5選No.10/2016.07

  • 2016.08.06 Saturday
  • 08:17

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の10回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された7月27日から7月29日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今月は秀句がいくつかありました。奄美は夏が永く、この季節こそ奄美が奄美らしくなるためかもしれません。今月も特選句なし。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

 

01.朝凪や(アートゥチドゥリー)魚釣船(イュートゥイニ)の(ヌ)全速力(チャートゥバシ)             

                          石原兼

02.夏座敷句集一冊伏せてある           島袋京子

03.濃(こ)あじさい褒めて立ち去る郵便夫       宮山和代

04.ゆうな咲く母も生まれし同じ空               原口ふみこ

05.白南風(しろはえ)に大蝶舞ひぬ喜界島         政久美子

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〈評〉
01/シマグチ(奄美語)のルビをふればそれだけで評価するというわけではない。この「なんかい文芸欄」には短歌を含めてときどきシマグチを使った作品が登場する(沖縄の新聞には「琉歌壇」があり、その琉歌はウチナーグチで作られることが多い)。この句は「朝凪の海に魚釣船が全速力で走っていく」といった明瞭な句意であり、ひょっとして作者はシマグチでふと口にしたのかもしれない。俳句はヤマトグチ(標準語)で作られることが殆どである。そうだとすると奄美の俳人たちは、時にシマグチで想起した感情・感動をヤマトグチに変換しなおしているのかもしれない。

 

02/句の“景”が鮮明に浮かび上がってくる。絵画的でもある。「夏座敷」「句集」「伏せる」といったモノとしての即物的な表現を重ねることで、夏らしいさまが浮かび上がってくる。こうした表現こそ俳句がモノを詠むことで抒情をかもしだす好例だといえよう。その句集は送られてきたばかりの句集かもしれないし、何度も繰り返し読んできた句集かもしれない。夏座敷を詠った句に〈茶室へと風の道あり夏座敷 中村恵美子〉があり、印象に残った。

 

03/きわめて抒情的な作品である。日常のなかのほんの一瞬のできごとを切り取る俳句文芸の面白さがよく表現されている。「郵便夫」となればわたしの世代は映画「郵便配達夫は二度ベルを鳴らす」を思い出す(何度か映画化されていてわたしの記憶に残るのはルキノ・ヴィスコンティ作、1942)。原作はアメリカが舞台だが、ヴィスコンティはイタリアに舞台を移し、それがまたイタリアの光景にぴったりはまり、しばらく間、原作もイタリアで生み出されたと思い込んでいた。都会の郵便配達夫は多くの郵便物を抱えているので、いつも忙しく立ち振舞っているが、島ではこの集落にだれがどのように棲んでいるのか知り尽くしているので、郵便配達夫も雄弁になるのだろうか。

 

04/「ゆうな」はオオハマボウの奄美・沖縄語。アオイ科の常緑小高木で黄色から桃色に花の色がかわる。ゆうなが咲く季節となり、その時間の感覚が母もこの同じ島でゆうなが咲く頃に生まれ、自分との経脈のながれを感受するといった心の風景が描かれている。「ゆうな」が出てくる句として〈花ゆうな老人飽かず海を見に 作田セツヨ〉を挙げよう。わたしも海が見える場所(神戸市垂水区塩屋)に住んだことがあるので、海に接して生きる者は、引きつけられるように海をながめてしまうクセがつくことを知っている。その理由はおそらくないだろう。「ゆうな」という花にはこの季節に生きていることを深く自覚させるなにかがあるのだろう。あと夏を想起させる句として〈夕凪や島の果てまで空気蒸す 和学歩〉〈梅雨明けて土の匂ひの黍畑 福永加代子〉も。

 

05/夏はまたハベラ(蝶・蛾)の季節でもある。奄美には蝶・蛾の厳密な区別はないと聞く(ただし近年はヤマトの価値観が入ってきているので、最近は蛾に対する文化的反応〈忌避〉が浸透しているのかもしれない)。その蝶が喜界島を舞っている。スケールを大きく設定している。正木礁湖の「​南島俳句歳時記」(1988.6.27)によると、「白南風は、梅雨が明けて黒雲が去り、空に巻雲や巻層雲が白くかかるころ、そよ吹く南からの季節風のこと」と解説されている。奄美には南風にのって迷蝶もやってくる。蝶の越境は日常的なのだ。

6月の特選奄美俳句5選No.09/2016.06

  • 2016.07.02 Saturday
  • 09:03

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の9回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された6月29日から7月1日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。奄美はすでに夏なのですが、梅雨という通過儀礼の季節があります。今月は特選句なし。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

01.崩れたる高倉覆ふ夏薊(あざみ)                    母子草

02.入梅に濡れたる色のイジュ咲(わら)ふ       山野尚

03.辣韮(らっきょう)の緑も漬けて土曜市         原口ふみこ

04.絵師一村魂の出逢いアカショウビン           恵ひろと

05.蜘蛛の囲や我が髪より整ひて                  福山文乃

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〈評〉
01/高倉は、奄美群島に伝わる高床式の倉庫。多くの高倉が建っていることを群倉(ぼれぐら)といい資産の豊かさの指標にもなっていた。さいきん保存に対して各自治体やシマの人たちの意識が高くなっている。しかし手入れが届かない高倉もあり、集落の高齢化、人口減少もあいまってどうすることもできず朽ちるにまかせるしかない。薊はトゲがあることで知られている。花言葉には「独立」「厳格」があるが「報復」もある。両面性をあわせもった花である。薊をもってきたところに、朽ちていく高倉=衰微していく集落環境を重ねている「景」がみえる。

 

02/梅雨の時期に咲くイジュ。常緑高木で白い花をつける。このイジュが「咲く」ことに「わら(う)」というルビをつけたのが、この句のミソといえるだろう。芙蓉の花にも酔芙蓉という花弁が酔っているような洒脱な形をした品種があり、このイジュが雨季の潤いのある中で花が咲く姿をみて「咲(わら)ふ」と感受したのでだろう。その感受性こそ自然(自分を取り巻く日常)にたいして向けるまなざしの深まりだと評価できよう。

 

03/最近ヤマト(本土)でも奄美・沖縄物産展で「シマラッキョ」という商品名でよく知られるようになった。辣韮はシマウタで登場するのはシマグチの「ガッキョ」。この言葉にすぐ反応してしまう。そう、奄美大島で歌われている「ちょくきく女節」に出てくるのだ。ちょうきく女と結婚を約束していた活国兄が、ちょうきく女が他の男と結ばれると聞くにおよんで、ガッキョが植わった畑にむかうちょくきく女を追って「一道(ちゅみち)なりが)」=心中をしようと追いかけていく。もちろんこの句はこうしたシマウタのは話と無縁で、あっけらかんとした光景であるがゆえに反対に、ガッキョの物語が浮き上がってくる。それにしても心中を「一道(ちゅみち)」と言い換えるシマンチュの言葉の喚起力はさすがである。

 

 

04/奄美に居を構えて日本画を書き続けた画家・田中一村。その画業のすばらしさは、奄美大島にいけば十分に鑑賞することができる。彼はアカショウビンをリアルに表現し、その色彩の華やかさと奄美の風景をみごとに対置させた。それを「魂の出会い」と表現する。渾身の画業をみれば決して大げさではないことがわかる。この鳥を詠った句に〈赤翡翠朝のあいさつ島の山 百日紅〉〈赤翡翠樹上歌ふや透る声 赤塚嘉寛〉も。

 

 

05/蜘蛛の巣のコレクターがいる。蜘蛛の巣を採取してきて紙にはりつけるのである。(蜘蛛の巣の採取の仕方が動画で解説されている。https://www.youtube.com/watch?v=kcH6NsSYE9o ) 蜘蛛の種類によって作られる巣が異なる。アモルファス的な不定形のものもあるが、なかには幾何学的に見事な作品がある。(しかし、蜘蛛はすべて蜘蛛の巣をはるわけではなく、半分の種類がはるそうである。)。この句の「蜘蛛の囲」とは整った巣の形状なのだろう。それを自らの髪と比較してみせるのは面白い発想である。髪の毛の少なくなった中高年の男性では発想しずらい句だ。発想の奇矯さに一票を献じた。

5月の特選奄美俳句5選No.08/2016.05

  • 2016.05.31 Tuesday
  • 23:50
5月の奄美特選俳句です

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の8回目です。
奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された5月25日から5月27日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回は初夏の自然詠が多いというのが傾向です。今月は特選句なしです。

01.田処の闇の深さや蛙鳴く                    吉玉道子

02.せせらぎのさえざえとした立夏かな     山野尚

03.卯波立つ波間を喘ぐ上鹿船               富山萬壽喜

04.飯匙倩の道主来たりて騒がしや         平井明代

05.山けぶる昔ながらの苫屋かな          りんどう

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〈評〉
01/奄美では、田植えが新聞記事になるのである。かつては「あそこのシマ(集落)はこの島の田袋(=多くの水田があるところ)」と呼ばれる場所があり、稲作もされていたが、最近の圃場は畑作が圧倒的に多くなっている。奄美は二期作が可能な恵まれた場所なのだが。この句は数少なくなってしまった田の光景をていねいに読んでいる。「闇の深さ」と記述したのが、句に深みをもたせている。蛙を詠んだ句といえば、〈蛙鳴く昨日も今日も恙なし 嘉ひろみ〉も挙げよう。

02/「立夏」だけを漢字にして際立たせている。その効果は抜群。十七音字を基層にする俳句文芸の〈漢字・かな〉の配分は、繊細さを要求される。漢字だらけでも興ざめだし、変にかなを使っても異物感(=わざとらしさ)がある。絶妙なさじ加減は、一句ごとの即妙のワザと、句への愛情の深さによって決まるのではないか。この句、初夏のさわやかな趣きをよく体現している。

03/「上鹿」とは鹿児島に向かうこと。かつて藩政時代(薩摩世)では、島の役人層が薩摩にいくことを「上国」といった(「上鹿」なり「上国」なりその反対語はなんだろう?)。島の人たちにとって、自分の住処からでかける交通手段は、船か飛行機になる。だいたい毎日定時に出入港するので、見慣れているとはいえ、島の人はしっかりと船の航行のありようが身体感覚の一部になっていさえする。その鹿児島行きの上りの船が春の荒れた海に翻弄されながら七島灘に向かう“景”がよく見える句である。

04/飯匙倩は毒蛇「ハブ」。奄美大島、加計呂麻島、与路島、請島、徳之島に生息する。なんでも去年度のハブ捕獲数は減ったとのこと。ハブは生死にかかわらず捕獲すれば公的機関が買い取ってくれる。ハブの数は増減の変化はないと思われるが、ハブ捕りの人が増えたのでここ数年ハブ捕獲数=買い取り数が増えていた。南海日日新聞をみていると時々びっくりするような大きなハブが捕らえられ記事になったりする。島のひとたちにとってもハブは充分知っているつもりでも、見るごとに驚きの対象になっているのに違いない。

05/深山を歩いていると、こんな山奥なぜあるのか、だれが住んでいるのか、といぶかしく思ってしまう人家、小屋があったりするものだ。今の梅雨の時期、雨上がりの山道の、湿潤な光景のなかに、風景にすっかり溶け込んでいる苫屋がある。人がすむ建造物であることはわかっているのだが、あまりに自然と一体化してみえる小さな驚きを句にした作品。
☆このほか選外句として川柳作品〈島民を不安がらせた麻薬船 堀田タカ子〉を挙げよう。句としてもうすこし熟達が望まれるが、川柳文芸が持っている属性のひとつとしての「時事川柳」のジャンルに入る作品。その事件とは、2月10日に島在住者を含む関係者が逮捕された麻薬密輸事件。奄美と神戸が深く関わっている。詳しくは、http://news.livedoor.com/article/detail/11188988/ をご覧あれ。

FMわぃわぃ、再起にむけて

  • 2016.05.16 Monday
  • 23:11
二か月ぶりに、FMわぃわぃのスタジオに帰ってきました。

3月末で総務省に地上波の免許を返上。4月からは、インターネット放送局として、再出発するべく試行を重ねています。

その試みのひとつとして週に数回放送しているのが、「ONE COIN番組」。いままでFMわぃわぃにかかわったスタッフが自由に参加できるフリースタイルの番組です。

さっそく四月から参加する予定にしていたのですが、詩の会で発表することになって、今月になってようやく初登場となりました。

自由参加のために、その当日になってみないと誰と一緒に番組づくりするのかわからず、奄美と神戸を結ぶ番組ソースをいくつか用意。でも今日はわたしだけの参加だったので、じっくりと奄美情報を伝えました。

FMわぃわぃ、しばらくはこうした試験期間を経て、7月ごろから再設定された番組スケジュールを決定する予定です。

次のわたしが参加する「ONE COIN番組」は、6月20日(月)正午からの55分間番組です。

4月の特選奄美俳句5選No.07/2016.04

  • 2016.05.06 Friday
  • 08:52
ゴールデンウイーンの真っ最中ですが、筆者はどこにもいかずじまい。

2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の7回目です。
奄美で発行されている南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された4月27日から4月30日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回は奄美の春が描かれています。今月は特選句なしです。

01.新ジャガの煮物を食べて恵比須顔            穐田光枝

02.宵霞黒兎(こくと)の郷(さと)を懐きおり     花デイゴ

03.ギーマ咲く薪を背負った青春期             永二てい女

04.主の光心に灯す復活祭             向井エツ子

05.ムチャ加那の悲話を沈めて春の海         登山磯乃


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〈評〉
01/南海日日新聞の文芸欄には四つの俳句グループが投稿しているが、もうひとつ五七五定型の川柳グループも毎月作品を寄せている。わたしは川柳作品であっても、〈詩〉として読めるならここで取り上げようと思っている。この句がはじめてその川柳グループ(天城町川柳会)の作品として掲載されたものから選んだ。「新ジャガ」は沖永良部島、徳之島の春の特産として、ヤマト(神戸)にも出荷されていて、水分のたっぷり含むジャガイモは、どんな料理にもあう。島で採れた産物をほうばることの至福感が素朴に表現されている。

02/奄美には「コクトくん」という黒ウサギをモデルにした地域キャラがある。あまり知られていないが、あいらしい存在である。奄美にとって「黒」は、アマミノクロウサギ、黒糖焼酎に連関していく。宵霞がアマミノクロウサギが棲む亜熱帯の杜を包み込んでいるという着想の大きな句である。

03/この句でまたひとつ奄美の植物について教えてもらった。「ギーマ」--ツツジ科の植物で白いこぶりな花が咲く。奄美大島が北限。ギーマの花が咲いていることに触発されて、かつては薪を背負って家事を手伝ったことを思い出す。そんな若かりし時は、遠くに過ぎ去っていく。ほか自然を詠った句として〈雨あがり道に蚯蚓のそこかしこ 詩音〉〈春風に白き頂のみだれ髪 宗隆子〉を挙げておこう。

04/復活祭はキリスト教信者にとって大切な祭日。イエスの復活を信じるというのが、キリスト教信者の要諦のひとつとなっているばかりか、この日はフィエスタでもあるので、さまざまな祭事が付帯する。この句はキリスト教の正直な信仰をうたっている。実は宗教に関する作品はその信仰に寄り添わないと、なかなかその内実は鑑賞者に伝わってこない。しかしひとこと付け加えておくと、奄美はキリスト教信者の人口比率が高く、5%だという数字もある。この数字は全国平均の5倍にあたる。しかもそのなかでカトリック信者の比率が高いことが特徴とされている。この比率の高さは長崎と比べられよう。

05/どうして奄美大島には悲話が多く伝わっているのだろう。唄者が悲話を感情をこめて歌いあげることもあって、その抒情性は深くシマンチュに伝承されている。「ムチャ加那」伝説もまた悲しい話である。美人に生まれたがゆえに起こった悲劇(奄美のシマウタには美人が悲劇のもとになった事例がいくつかある)が伝えられている。喜界島の小野津という集落で、アオサ採りにかこつけて、美人ゆえに同性の女性たちに嫉妬されたムチャ加那は突き落とされ溺死してしまう。それからの伝承はいくつかに別れ、その遺体が住用村青久集落に流れついたという説と、ムチャ加那は集落で葬られ、母のウラトミが海に身投げしてその遺体が青久に漂着したという説もある(また加計呂麻島の池間集落にはウラトミの墓があるのを見せてもらったことがある)。いまとなってはその伝承の数々は確かめようがないが、それだけシマンチュの心の中にふかく刻まれていることは確かである。今月シマウタをうたったもうひとつの句に〈心染む三味の響きや春の海 ねむの花〉。

3月の特選奄美俳句5選No.06/2016.03

  • 2016.04.09 Saturday
  • 09:08
春ですね。まだ朝は寒いのですが。
去年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の6回目です。
奄美で発行されている南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された3月30日から4月1日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回は奄美に一足早くやってきた春の季刊が満載です。

01.余命てふ未来りありて青き踏む           西のり子

02.二月尽晴れて琉舞の地方(じかた)かな    えらぶ安明

03.闘牛の背に股がりて野路を行く          母子草

04.波昏(くら)きやよいとまどう坂の町     福山文之

05.春の水ラララ流れて瀬を跳ねる          緑沢克彦


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〈評〉
01/「余命」=短い生=詠嘆の表現といステロタイプなイマージュを横転させたこの句。「未来ありて」という表現が老境に身をおきながら日々を積極的に生きようとする姿勢がうかがえて好感をもつ。「青き踏む」=「踏青」は春の季語。冬を抜け出た春の勢いをそのまま表している。この季語を使ったものとして今月は〈即吟の句をあたためて青き踏む 吾亦紅〉を挙げよう。

02/奄美に日舞の踊り手はいるが、沖縄・琉球文化圏ということもあり、伝統的な踊りといえば、琉舞が盛んである。徳之島-沖永良部島-与論島と南にいくにしたがって琉舞の近接度は高まっていくような気がする(沖永良部のフクラシャはこの島独自に発展している)。二月の終わり、琉舞の地方、つまり謡をパートを担当している作者をとりまく情景が一句に取り込まれている。徳之島の民俗研究者・松山光秀氏(1931-2008)は「奄美では歌〈=民謡〉には歌霊(うただま)が宿っているが、踊りにも「踊り霊」といったものが宿っているのです」と教えてくれたことがある。〈うららかや歌掛け合いの長寿会  寿山萌〉。

03/かつて奄美大島でも徳之島から牛を借りて闘牛をしたことがあると聴く。しかし現在奄美群島で闘牛といえば徳之島である。1月5月9月の三回全島横綱決定戦が催され(この三回は旧暦の神月〈かみづき〉に起因しているのだろう)、それはそれは華やかで盛んである。横綱クラスとなると1トンちかくになる牛もいて身近にみると小山のように大きい。闘牛という“なぐさみ”を心から愛して島の文化にしているひとたちだからこそ一家(あるいは会社、学校同窓生)で持ち合っている闘牛への愛情が表現できる。

04/俳句というジャンルを抜け出て鑑賞できそうな句。昏い波とは東北大震災の津波なのだろう。津波の映像はよくみる方だが、いままでの津波のイメージをくつがえし(波濤たけだけしくざんぶとやってくる高波のイメージだった)、次々と無言で押し寄せる黒々とした水の暴力的な固まりが津波の実態であることを知った。「やよい」は三月の別名。坂の町は東北太平洋側のリアス式海岸のどこでもいいだろう。阪神・淡路大震災の時は発生が夜明け前であったし、カメラ付き携帯電話もそんなに普及していなかったので、街が崩壊するさまは、東北大震災のように視覚的な映像としてそんなに多く残されていない。わたしが津波映像をよくみるのは、神戸の街の崩れようを津波映像で追体験したいがためなのかもしれない。

05/特選句は設けない方針なのだが、今月はこの句を文句なしに特選句としたい。「ラララ」を使い、ことばのリズムも卓越していることを初めとして、春、しかも初春の躍動に接した悦びが句全体から感じ取れることができる。「ラララ」はわたしの世代にとって谷川俊太郎作詞の「鉄腕アトム」の歌で使われていることでしっかり脳裏に刻み込まれている。今月は、佳句に出会ったものだ。

 

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