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    8月の特選奄美俳句5選No.11/2016.08

    • 2016.09.07 Wednesday
    • 20:49

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の11回目です。
    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された7月27日から7月29日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今月は秀句がいくつかありました。奄美は夏が永く、この季節こそ奄美が奄美らしくなるためかもしれません。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

    01.熱帯夜ダリの絵のごと溶けかねむ              田川和江

    02.姉と手をつなぎてをりし終戦日           古田律子

    03.浜木綿(はまおもと)大海原の先見つむ       母子草

    04.一日を素のまま生きるゑのこ草               泉直哉

    05.凪の日を夜釣りに誘う友来たる                 和学歩

    --------------------------------------------------------------------
    〈評〉
    01/ちょうど関西では「ダリ展」が開催されている。枝にぶらさがるぐんにゃりと曲がった時計はダリのシュールレアリスム的手法で描かれた絵としてよく知られている(ダリは溶けるチーズをみて発想したそうだ)。「〜ごと」と直喩で表現されているこの句は、難しい構造ではない。しかし、暑い夏の夜の情況をよく表現しているといえよう。ちなみにこのぐんにゃりと曲がった時計が兵庫県立美術館のミュージアムショップで売られていた。そんなに高くない値段で。

     

    02/女性は高齢になっても(きょうだい仲が悪くなければ)妹は姉の手をにぎりしめ、姉は妹の手を握り返す、といった光景がそんなに違和なくありそうである。しかも日本が負けた8月15日。ふたりが生きていた生の軌跡が握りあった手のあたたかみに込められているのだろう。あの日から71年。戦争を知っている世代は年齢をかさねるものの、戦争体験はいつでもリアルにフラッシュバックするにちがいない。

     

    03/「はまおもと」とはシマの言葉なのだろうか。花の向く先が大海原なのだという。奄美は山中にはいれば海の気配が薄くなったりするものの、やはり島に生きるということは、どこにいても臨海の気配のなかで生きるということである。わたしの実家は神戸市垂水区塩屋という場所で、須磨から西に向かうと、臨海の気配が濃くなる。海を見るという意識だった行為をしなくとも海とともにある心の景色は濃い。そんな臨海の環境にいるからこそ、こうした句が生まれるのだろう。

     

    04/力の抜けた心的環境ゆえにこそ生まれた句境であろう。どこにでもある、いつだって見ることができる植物である「ゑのこ草」に、自らの生を仮託してつくられたこの句は、作者の生き方そのものなのであろう。きわだって異なる植物でも、きわだって特別に鑑賞されるわけでもないこの草にこそ、自ら感情移入できる対象であった。

     

    05/俳句は十七音字で成り立っている(例外もある)ので、助詞の使い方ひとつで、凡庸になったり、月並みになったり、類想句を思い浮かべたりする。この句も構造は既視感のする範疇に入るのだが、「凪の日を」の「を」の使い方が際立って、ひとつの句として立ち上がっている。「を」の代わりに「に」や「は」「の」を使えば凡庸となってしまい、切れ字を使うと大仰な句となり私は見落としたであろう。「を」を使うことで、「凪の日」がこの句のなかで屹立し、中七、下五と拮抗しうる内容となっていることに気づくだろう。考えたものだ。

    7月の特選奄美俳句5選No.10/2016.07

    • 2016.08.06 Saturday
    • 08:17

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の10回目です。
    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された7月27日から7月29日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今月は秀句がいくつかありました。奄美は夏が永く、この季節こそ奄美が奄美らしくなるためかもしれません。今月も特選句なし。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

     

    01.朝凪や(アートゥチドゥリー)魚釣船(イュートゥイニ)の(ヌ)全速力(チャートゥバシ)             

                              石原兼

    02.夏座敷句集一冊伏せてある           島袋京子

    03.濃(こ)あじさい褒めて立ち去る郵便夫       宮山和代

    04.ゆうな咲く母も生まれし同じ空               原口ふみこ

    05.白南風(しろはえ)に大蝶舞ひぬ喜界島         政久美子

    --------------------------------------------------------------------
    〈評〉
    01/シマグチ(奄美語)のルビをふればそれだけで評価するというわけではない。この「なんかい文芸欄」には短歌を含めてときどきシマグチを使った作品が登場する(沖縄の新聞には「琉歌壇」があり、その琉歌はウチナーグチで作られることが多い)。この句は「朝凪の海に魚釣船が全速力で走っていく」といった明瞭な句意であり、ひょっとして作者はシマグチでふと口にしたのかもしれない。俳句はヤマトグチ(標準語)で作られることが殆どである。そうだとすると奄美の俳人たちは、時にシマグチで想起した感情・感動をヤマトグチに変換しなおしているのかもしれない。

     

    02/句の“景”が鮮明に浮かび上がってくる。絵画的でもある。「夏座敷」「句集」「伏せる」といったモノとしての即物的な表現を重ねることで、夏らしいさまが浮かび上がってくる。こうした表現こそ俳句がモノを詠むことで抒情をかもしだす好例だといえよう。その句集は送られてきたばかりの句集かもしれないし、何度も繰り返し読んできた句集かもしれない。夏座敷を詠った句に〈茶室へと風の道あり夏座敷 中村恵美子〉があり、印象に残った。

     

    03/きわめて抒情的な作品である。日常のなかのほんの一瞬のできごとを切り取る俳句文芸の面白さがよく表現されている。「郵便夫」となればわたしの世代は映画「郵便配達夫は二度ベルを鳴らす」を思い出す(何度か映画化されていてわたしの記憶に残るのはルキノ・ヴィスコンティ作、1942)。原作はアメリカが舞台だが、ヴィスコンティはイタリアに舞台を移し、それがまたイタリアの光景にぴったりはまり、しばらく間、原作もイタリアで生み出されたと思い込んでいた。都会の郵便配達夫は多くの郵便物を抱えているので、いつも忙しく立ち振舞っているが、島ではこの集落にだれがどのように棲んでいるのか知り尽くしているので、郵便配達夫も雄弁になるのだろうか。

     

    04/「ゆうな」はオオハマボウの奄美・沖縄語。アオイ科の常緑小高木で黄色から桃色に花の色がかわる。ゆうなが咲く季節となり、その時間の感覚が母もこの同じ島でゆうなが咲く頃に生まれ、自分との経脈のながれを感受するといった心の風景が描かれている。「ゆうな」が出てくる句として〈花ゆうな老人飽かず海を見に 作田セツヨ〉を挙げよう。わたしも海が見える場所(神戸市垂水区塩屋)に住んだことがあるので、海に接して生きる者は、引きつけられるように海をながめてしまうクセがつくことを知っている。その理由はおそらくないだろう。「ゆうな」という花にはこの季節に生きていることを深く自覚させるなにかがあるのだろう。あと夏を想起させる句として〈夕凪や島の果てまで空気蒸す 和学歩〉〈梅雨明けて土の匂ひの黍畑 福永加代子〉も。

     

    05/夏はまたハベラ(蝶・蛾)の季節でもある。奄美には蝶・蛾の厳密な区別はないと聞く(ただし近年はヤマトの価値観が入ってきているので、最近は蛾に対する文化的反応〈忌避〉が浸透しているのかもしれない)。その蝶が喜界島を舞っている。スケールを大きく設定している。正木礁湖の「​南島俳句歳時記」(1988.6.27)によると、「白南風は、梅雨が明けて黒雲が去り、空に巻雲や巻層雲が白くかかるころ、そよ吹く南からの季節風のこと」と解説されている。奄美には南風にのって迷蝶もやってくる。蝶の越境は日常的なのだ。

    6月の特選奄美俳句5選No.09/2016.06

    • 2016.07.02 Saturday
    • 09:03

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の9回目です。
    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された6月29日から7月1日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。奄美はすでに夏なのですが、梅雨という通過儀礼の季節があります。今月は特選句なし。(ルビは新聞掲載時の表記に従っています)

    01.崩れたる高倉覆ふ夏薊(あざみ)                    母子草

    02.入梅に濡れたる色のイジュ咲(わら)ふ       山野尚

    03.辣韮(らっきょう)の緑も漬けて土曜市         原口ふみこ

    04.絵師一村魂の出逢いアカショウビン           恵ひろと

    05.蜘蛛の囲や我が髪より整ひて                  福山文乃

    --------------------------------------------------------------------
    〈評〉
    01/高倉は、奄美群島に伝わる高床式の倉庫。多くの高倉が建っていることを群倉(ぼれぐら)といい資産の豊かさの指標にもなっていた。さいきん保存に対して各自治体やシマの人たちの意識が高くなっている。しかし手入れが届かない高倉もあり、集落の高齢化、人口減少もあいまってどうすることもできず朽ちるにまかせるしかない。薊はトゲがあることで知られている。花言葉には「独立」「厳格」があるが「報復」もある。両面性をあわせもった花である。薊をもってきたところに、朽ちていく高倉=衰微していく集落環境を重ねている「景」がみえる。

     

    02/梅雨の時期に咲くイジュ。常緑高木で白い花をつける。このイジュが「咲く」ことに「わら(う)」というルビをつけたのが、この句のミソといえるだろう。芙蓉の花にも酔芙蓉という花弁が酔っているような洒脱な形をした品種があり、このイジュが雨季の潤いのある中で花が咲く姿をみて「咲(わら)ふ」と感受したのでだろう。その感受性こそ自然(自分を取り巻く日常)にたいして向けるまなざしの深まりだと評価できよう。

     

    03/最近ヤマト(本土)でも奄美・沖縄物産展で「シマラッキョ」という商品名でよく知られるようになった。辣韮はシマウタで登場するのはシマグチの「ガッキョ」。この言葉にすぐ反応してしまう。そう、奄美大島で歌われている「ちょくきく女節」に出てくるのだ。ちょうきく女と結婚を約束していた活国兄が、ちょうきく女が他の男と結ばれると聞くにおよんで、ガッキョが植わった畑にむかうちょくきく女を追って「一道(ちゅみち)なりが)」=心中をしようと追いかけていく。もちろんこの句はこうしたシマウタのは話と無縁で、あっけらかんとした光景であるがゆえに反対に、ガッキョの物語が浮き上がってくる。それにしても心中を「一道(ちゅみち)」と言い換えるシマンチュの言葉の喚起力はさすがである。

     

     

    04/奄美に居を構えて日本画を書き続けた画家・田中一村。その画業のすばらしさは、奄美大島にいけば十分に鑑賞することができる。彼はアカショウビンをリアルに表現し、その色彩の華やかさと奄美の風景をみごとに対置させた。それを「魂の出会い」と表現する。渾身の画業をみれば決して大げさではないことがわかる。この鳥を詠った句に〈赤翡翠朝のあいさつ島の山 百日紅〉〈赤翡翠樹上歌ふや透る声 赤塚嘉寛〉も。

     

     

    05/蜘蛛の巣のコレクターがいる。蜘蛛の巣を採取してきて紙にはりつけるのである。(蜘蛛の巣の採取の仕方が動画で解説されている。https://www.youtube.com/watch?v=kcH6NsSYE9o ) 蜘蛛の種類によって作られる巣が異なる。アモルファス的な不定形のものもあるが、なかには幾何学的に見事な作品がある。(しかし、蜘蛛はすべて蜘蛛の巣をはるわけではなく、半分の種類がはるそうである。)。この句の「蜘蛛の囲」とは整った巣の形状なのだろう。それを自らの髪と比較してみせるのは面白い発想である。髪の毛の少なくなった中高年の男性では発想しずらい句だ。発想の奇矯さに一票を献じた。

    5月の特選奄美俳句5選No.08/2016.05

    • 2016.05.31 Tuesday
    • 23:50
    5月の奄美特選俳句です

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の8回目です。
    奄美で発行されている日刊紙・南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された5月25日から5月27日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回は初夏の自然詠が多いというのが傾向です。今月は特選句なしです。

    01.田処の闇の深さや蛙鳴く                    吉玉道子

    02.せせらぎのさえざえとした立夏かな     山野尚

    03.卯波立つ波間を喘ぐ上鹿船               富山萬壽喜

    04.飯匙倩の道主来たりて騒がしや         平井明代

    05.山けぶる昔ながらの苫屋かな          りんどう

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    〈評〉
    01/奄美では、田植えが新聞記事になるのである。かつては「あそこのシマ(集落)はこの島の田袋(=多くの水田があるところ)」と呼ばれる場所があり、稲作もされていたが、最近の圃場は畑作が圧倒的に多くなっている。奄美は二期作が可能な恵まれた場所なのだが。この句は数少なくなってしまった田の光景をていねいに読んでいる。「闇の深さ」と記述したのが、句に深みをもたせている。蛙を詠んだ句といえば、〈蛙鳴く昨日も今日も恙なし 嘉ひろみ〉も挙げよう。

    02/「立夏」だけを漢字にして際立たせている。その効果は抜群。十七音字を基層にする俳句文芸の〈漢字・かな〉の配分は、繊細さを要求される。漢字だらけでも興ざめだし、変にかなを使っても異物感(=わざとらしさ)がある。絶妙なさじ加減は、一句ごとの即妙のワザと、句への愛情の深さによって決まるのではないか。この句、初夏のさわやかな趣きをよく体現している。

    03/「上鹿」とは鹿児島に向かうこと。かつて藩政時代(薩摩世)では、島の役人層が薩摩にいくことを「上国」といった(「上鹿」なり「上国」なりその反対語はなんだろう?)。島の人たちにとって、自分の住処からでかける交通手段は、船か飛行機になる。だいたい毎日定時に出入港するので、見慣れているとはいえ、島の人はしっかりと船の航行のありようが身体感覚の一部になっていさえする。その鹿児島行きの上りの船が春の荒れた海に翻弄されながら七島灘に向かう“景”がよく見える句である。

    04/飯匙倩は毒蛇「ハブ」。奄美大島、加計呂麻島、与路島、請島、徳之島に生息する。なんでも去年度のハブ捕獲数は減ったとのこと。ハブは生死にかかわらず捕獲すれば公的機関が買い取ってくれる。ハブの数は増減の変化はないと思われるが、ハブ捕りの人が増えたのでここ数年ハブ捕獲数=買い取り数が増えていた。南海日日新聞をみていると時々びっくりするような大きなハブが捕らえられ記事になったりする。島のひとたちにとってもハブは充分知っているつもりでも、見るごとに驚きの対象になっているのに違いない。

    05/深山を歩いていると、こんな山奥なぜあるのか、だれが住んでいるのか、といぶかしく思ってしまう人家、小屋があったりするものだ。今の梅雨の時期、雨上がりの山道の、湿潤な光景のなかに、風景にすっかり溶け込んでいる苫屋がある。人がすむ建造物であることはわかっているのだが、あまりに自然と一体化してみえる小さな驚きを句にした作品。
    ☆このほか選外句として川柳作品〈島民を不安がらせた麻薬船 堀田タカ子〉を挙げよう。句としてもうすこし熟達が望まれるが、川柳文芸が持っている属性のひとつとしての「時事川柳」のジャンルに入る作品。その事件とは、2月10日に島在住者を含む関係者が逮捕された麻薬密輸事件。奄美と神戸が深く関わっている。詳しくは、http://news.livedoor.com/article/detail/11188988/ をご覧あれ。

    4月の特選奄美俳句5選No.07/2016.04

    • 2016.05.06 Friday
    • 08:52
    ゴールデンウイーンの真っ最中ですが、筆者はどこにもいかずじまい。

    2015年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の7回目です。
    奄美で発行されている南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された4月27日から4月30日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回は奄美の春が描かれています。今月は特選句なしです。

    01.新ジャガの煮物を食べて恵比須顔            穐田光枝

    02.宵霞黒兎(こくと)の郷(さと)を懐きおり     花デイゴ

    03.ギーマ咲く薪を背負った青春期             永二てい女

    04.主の光心に灯す復活祭             向井エツ子

    05.ムチャ加那の悲話を沈めて春の海         登山磯乃


    --------------------------------------------------------------------
    〈評〉
    01/南海日日新聞の文芸欄には四つの俳句グループが投稿しているが、もうひとつ五七五定型の川柳グループも毎月作品を寄せている。わたしは川柳作品であっても、〈詩〉として読めるならここで取り上げようと思っている。この句がはじめてその川柳グループ(天城町川柳会)の作品として掲載されたものから選んだ。「新ジャガ」は沖永良部島、徳之島の春の特産として、ヤマト(神戸)にも出荷されていて、水分のたっぷり含むジャガイモは、どんな料理にもあう。島で採れた産物をほうばることの至福感が素朴に表現されている。

    02/奄美には「コクトくん」という黒ウサギをモデルにした地域キャラがある。あまり知られていないが、あいらしい存在である。奄美にとって「黒」は、アマミノクロウサギ、黒糖焼酎に連関していく。宵霞がアマミノクロウサギが棲む亜熱帯の杜を包み込んでいるという着想の大きな句である。

    03/この句でまたひとつ奄美の植物について教えてもらった。「ギーマ」--ツツジ科の植物で白いこぶりな花が咲く。奄美大島が北限。ギーマの花が咲いていることに触発されて、かつては薪を背負って家事を手伝ったことを思い出す。そんな若かりし時は、遠くに過ぎ去っていく。ほか自然を詠った句として〈雨あがり道に蚯蚓のそこかしこ 詩音〉〈春風に白き頂のみだれ髪 宗隆子〉を挙げておこう。

    04/復活祭はキリスト教信者にとって大切な祭日。イエスの復活を信じるというのが、キリスト教信者の要諦のひとつとなっているばかりか、この日はフィエスタでもあるので、さまざまな祭事が付帯する。この句はキリスト教の正直な信仰をうたっている。実は宗教に関する作品はその信仰に寄り添わないと、なかなかその内実は鑑賞者に伝わってこない。しかしひとこと付け加えておくと、奄美はキリスト教信者の人口比率が高く、5%だという数字もある。この数字は全国平均の5倍にあたる。しかもそのなかでカトリック信者の比率が高いことが特徴とされている。この比率の高さは長崎と比べられよう。

    05/どうして奄美大島には悲話が多く伝わっているのだろう。唄者が悲話を感情をこめて歌いあげることもあって、その抒情性は深くシマンチュに伝承されている。「ムチャ加那」伝説もまた悲しい話である。美人に生まれたがゆえに起こった悲劇(奄美のシマウタには美人が悲劇のもとになった事例がいくつかある)が伝えられている。喜界島の小野津という集落で、アオサ採りにかこつけて、美人ゆえに同性の女性たちに嫉妬されたムチャ加那は突き落とされ溺死してしまう。それからの伝承はいくつかに別れ、その遺体が住用村青久集落に流れついたという説と、ムチャ加那は集落で葬られ、母のウラトミが海に身投げしてその遺体が青久に漂着したという説もある(また加計呂麻島の池間集落にはウラトミの墓があるのを見せてもらったことがある)。いまとなってはその伝承の数々は確かめようがないが、それだけシマンチュの心の中にふかく刻まれていることは確かである。今月シマウタをうたったもうひとつの句に〈心染む三味の響きや春の海 ねむの花〉。

    3月の特選奄美俳句5選No.06/2016.03

    • 2016.04.09 Saturday
    • 09:08
    春ですね。まだ朝は寒いのですが。
    去年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の6回目です。
    奄美で発行されている南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された3月30日から4月1日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回は奄美に一足早くやってきた春の季刊が満載です。

    01.余命てふ未来りありて青き踏む           西のり子

    02.二月尽晴れて琉舞の地方(じかた)かな    えらぶ安明

    03.闘牛の背に股がりて野路を行く          母子草

    04.波昏(くら)きやよいとまどう坂の町     福山文之

    05.春の水ラララ流れて瀬を跳ねる          緑沢克彦


    --------------------------------------------------------------------
    〈評〉
    01/「余命」=短い生=詠嘆の表現といステロタイプなイマージュを横転させたこの句。「未来ありて」という表現が老境に身をおきながら日々を積極的に生きようとする姿勢がうかがえて好感をもつ。「青き踏む」=「踏青」は春の季語。冬を抜け出た春の勢いをそのまま表している。この季語を使ったものとして今月は〈即吟の句をあたためて青き踏む 吾亦紅〉を挙げよう。

    02/奄美に日舞の踊り手はいるが、沖縄・琉球文化圏ということもあり、伝統的な踊りといえば、琉舞が盛んである。徳之島-沖永良部島-与論島と南にいくにしたがって琉舞の近接度は高まっていくような気がする(沖永良部のフクラシャはこの島独自に発展している)。二月の終わり、琉舞の地方、つまり謡をパートを担当している作者をとりまく情景が一句に取り込まれている。徳之島の民俗研究者・松山光秀氏(1931-2008)は「奄美では歌〈=民謡〉には歌霊(うただま)が宿っているが、踊りにも「踊り霊」といったものが宿っているのです」と教えてくれたことがある。〈うららかや歌掛け合いの長寿会  寿山萌〉。

    03/かつて奄美大島でも徳之島から牛を借りて闘牛をしたことがあると聴く。しかし現在奄美群島で闘牛といえば徳之島である。1月5月9月の三回全島横綱決定戦が催され(この三回は旧暦の神月〈かみづき〉に起因しているのだろう)、それはそれは華やかで盛んである。横綱クラスとなると1トンちかくになる牛もいて身近にみると小山のように大きい。闘牛という“なぐさみ”を心から愛して島の文化にしているひとたちだからこそ一家(あるいは会社、学校同窓生)で持ち合っている闘牛への愛情が表現できる。

    04/俳句というジャンルを抜け出て鑑賞できそうな句。昏い波とは東北大震災の津波なのだろう。津波の映像はよくみる方だが、いままでの津波のイメージをくつがえし(波濤たけだけしくざんぶとやってくる高波のイメージだった)、次々と無言で押し寄せる黒々とした水の暴力的な固まりが津波の実態であることを知った。「やよい」は三月の別名。坂の町は東北太平洋側のリアス式海岸のどこでもいいだろう。阪神・淡路大震災の時は発生が夜明け前であったし、カメラ付き携帯電話もそんなに普及していなかったので、街が崩壊するさまは、東北大震災のように視覚的な映像としてそんなに多く残されていない。わたしが津波映像をよくみるのは、神戸の街の崩れようを津波映像で追体験したいがためなのかもしれない。

    05/特選句は設けない方針なのだが、今月はこの句を文句なしに特選句としたい。「ラララ」を使い、ことばのリズムも卓越していることを初めとして、春、しかも初春の躍動に接した悦びが句全体から感じ取れることができる。「ラララ」はわたしの世代にとって谷川俊太郎作詞の「鉄腕アトム」の歌で使われていることでしっかり脳裏に刻み込まれている。今月は、佳句に出会ったものだ。

     

    2月の特選奄美俳句5選No.05/2016.02

    • 2016.03.02 Wednesday
    • 10:06
    3月となりました。
    去年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」の5回目です。
    奄美で発行されている南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された2月24日から26日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今回は季節の変わり目にあたり、冬と春の季語がまじっています。

    01.雪降りて百年越しの奄美(しま)の朝  福永加代子

    02.春立ちて若き白鳥立神に                  洲ひろし

    03.島珊瑚生(あ)れ次ぐ干潟春一番          硯よしえ

    04.冬銀河父の言葉が落ちてくる          福山勇人

    05.未練てふ愛し方あり春隣              久松敬志

    --------------------------------------------------------------------
    〈評〉
    01/1月24日(日)、奄美大島の市街地(奄美市名瀬)で、115年ぶりとなる降雪が観測された。それまでも奄美大島の最高峰・湯湾岳(標高694.4m)に雪がふったことはなんどか地元新聞によって報道されているが、大島での正式な記録は、市街地にある測候所での観測になるから、こうした百年ぶりという数字となる(ヤマトでも山には降雪があるが里まで雪雲がおりてくることはいつもではない)。しかし、いずれにせよ百年ぶりという大きな時間帯を考えさせられる自然現象であるのには変わらない。引用句はこうした降雪の感動を詠んだもので、「奄美」に「しま」とルビをふっていることが、奄美の人たちの奄美群島の自称の名称として定着している様子も確認できる。ほかに〈百年(ももとせ)を経しや雪舞ふ我きや島に 政久美子〉がある。

    02/どうしてもこの句から連想するのは、奄美シマウタの「よいすら節」である。代表的な歌詞を紹介してみよう。
    「船(ふねぃ)の高艫(たかどぅも)にヨイスラ/船(ふねぃ)の高艫(たかどぅも)にヨイスラ/(囃子)スラヨイスラ/居(い)ちゅる白鳥(しりゅどぅり)ぐゎ スラヨイ スラヨイ(囃子)スラヨイ スラヨイ/白鳥(しりゅどぅり)やあらぬ ヨイスラ/白鳥(しりゅどぅり)やあらぬヨイスラ/(囃子)スラヨイスラ/うなり神(かみ)がなし スラヨイ スラヨイ」
    立神(海中に突き出ている円錐形の小島。奄美では信仰の対象。神女は立神に向かってウガン〈祈り〉をささげる)に若い白鳥が舞い降りてきた。その凛としたさまは、「よいすら節」にもあるように、あれは鳥ではなく、いとしい「うなり神」あるいは「うなり(愛する女性)」の化身なのだと感受するのである。絵になる光景である。

    03/奄美で珊瑚の産卵がはじまると、「海が鳴る」と表現するひとがいる(ほかにも産卵の音が聞こえるとも)。「生(あ)れ次ぐ」とはすぐれた詩の表現である。この句は、この表現を導入したことで作品の重層感を獲得している。ほかに今回「春」をうたった句として〈自転車に力を入れる春(はる)北風(ならひ) 東明美〉〈立春や紋文俳句島に咲く えらぶ安明〉など。

    04/詩として読みたい一句。市街地を一歩ははずれると、奄美の夜空は星がまたたいている。銀河から父の言葉、つまり思い出や笑顔の記憶も、作者のもとにふり降りてくる。現実にそうしたことがあったかどうかは問題ではない。作者の心象のなかでのリアリティなのだ。島を感じさせる句として、〈屋根を葺く結も無くなり過疎の村 池田利美〉がある。奄美の集落(しま)は人口減少、高齢化がすすむ。かつてはシマ総出で(=結)で行っていた屋根の新調も、できなくなったということ。

    05/俳句では抒情的なこころのありようを表現するのは簡単ではない。モノを描くことで、その背景にある抒情を感受してもらおうとする「換喩」の手法がとられることが多い。そうした俳句文芸のなかにあって、「未練てふ愛し方あり」と直截な表現を季語「春隣」にぶつけることで生まれる感興がこの句のポイント。未練という諦観をいだくこともも愛の表現なのだよ、と語りかけてくる。

    1月の特選奄美俳句5選No.04/2016.01

    • 2016.01.31 Sunday
    • 09:04

    2016年となりました。
    去年10月から始めている「今月の奄美俳句特選5句」。
    奄美で発行されている南海日日新聞の文芸欄「なんかい文芸」に掲載された1月27日から29日までの四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。今月は、俳句にとって重要な新年をうたう作品がならんでいます。

    01.美童や紬は絢に春小袖            
    福山文乃

    02.新玉の夫婦相和し三味響く      ねむの花

    03.
    甘蔗時雨漢(おとこ)無口にきび担ぐ 吉玉道子

    04.床の母届きし賀状胸に抱き          政 久美子

    05.無念なり果実の廃棄島しぐれ     西のり子

    --------------------------------------------------------------------

    〈評〉
    01/美童とは小洒落た表現。イケメンとはすこしちがう美少年をイメージする。その華やかさが漂う男子が紬をまとうことで、少年から青年にぬけでようとしている。その美童が身内であってもなくとも、幼いころからその男子の美しさを知っていたのだろう。限られた文字数の俳句でよく表現されている。

    02/俳句にとって、正月を詠うのは大切なジャンル。この句、すがすがしい家庭の雰囲気がよく出ている。とりわけ「三味響く」とは奄美らしさがでている。このほか正月の句をあげよう。〈初掃除掃木(ほうき)に残る妻の癖 久松敬志〉〈冬晴の日差しやはらか奄美島 益岡利子〉〈朝日浴びおがみ山から初景色 奥則子〉

    03/“景”がしっかり見える句。この句が描かんとする映像が視えてくる。甘蔗雨は、キビの重さを増すために、ありがたいものではない。最近は随分機会化されたものの、キビ刈りと「キビ運搬車=十輪車」(徳之島の言い方)へ運ぶ重労働を黙々とこなす男性のありようをたたえている作者。島のこの時期ならではの光景である。この他にも「甘蔗時雨」を季語にした句がこの時期に何句か見出すことができる。〈甘蔗時雨素足の祖先偲びけり 中原典子〉〈島唄の一つも覚え甘蔗時雨 吉玉道子〉

    04/高齢化がすすむ現在にあっても、何歳になっても毎日畑仕事をするお年寄りもいれば、寝たきりの老人もいる。概して高齢者となると賀状の枚数は減るものである。そのなかで、この句は、床の母に届いた一葉の賀状に感動する母の姿が描かれている。句が描くありようがみえてくる視覚的な作品。

    05/俳句で時事を扱うのは字数などのかんけいで難しいが、この句はいまの奄美にとって深刻な問題となっているミカンコミバエによる柑橘類の島外移出禁止措置による打撃を詠み込んでいる。廃棄した柑橘類については、国などから補助金がでるそうなので、ちょっとした安心材料ではあるが、その補助金ももともとはわれわれの税金であることを忘れてはいけない。

     

    12月の特選奄美俳句5選No.03/2015.12

    • 2015.12.04 Friday
    • 08:31
    「今月の奄美俳句特選5句」。3回目です。
    南海日日新聞に掲載された11月25日から27日までの「なんかい文芸」のなかで、四つの俳句グループから出された作品から五句をえらんでいます。

    01.花芒風とたわむる島入日  石原かね

    02.秋風や殉教碑とて石一つ  城幸女

    03.青く澄む海を背(せびら)にサシバ舞う  吉玉道子

    04.地の神に残す唐藷二つ三つ  登山磯之 
     
    05.藍染や北風(ニシ)に抱かれて青深み  森美佐子

    --------------------------------------------------------------------
    〈評〉
    01./島(奄美)の自然は豊かである。しかも一年中、咲く花は絶えることはない。花芒とたわむれているのは、島の光景であり、作者の心象でもあるだろう。落日の斜光が芒にあたり、一面にひろがる広角な色世界がこの句から視えてくる。


    02./奄美のひとは、石ころひとつでも、大切にする。シマ(集落)にとって大切な聖所に置かれているのは、路傍の石かと間違うほどのなにかわらぬ石だったりする。この句に書かれた殉教碑は例えば近年出来きた徳之島母間騒動記の記念碑かもしれないし、シマのひとならその石の意味を知っている拝(うがん)所(しょ)の石かもしれない。それを「石一つ」と表現する作者の事実を見つめる確かな目線が活きている。

    03./小型の鷹であるサシバ。この時期に北(本土)から奄美に渡ってくる。さらに南に向かうもの、島でとどまるものも。今回はこのサシバをとりあげた句がいくつかあったが、この句を選ぶ。サシバのありようを読み込むだけではなく、〈青〉〈海〉〈背(せびら)〉の詩語を配置することで、句の立体性が増している。ほかに〈晴れ渡る空に刺羽の声高く 坂江直子〉〈「ヒックィー」声風(こわぶり)のせ差羽来ぬ 山野尚〉の句も。

    04./人は食べていかなければ生きていけない。日々の食糧を自らの畑でまかなう日常への感謝。かつて奄美では唐藷(からいも/さつまいも)が長い間“主食”だったのだ。島の畑や畑作業のなかで、「地の神」と対話することで作られたであろうこの句。島の地からもたらされる恵みに対する感謝と、その応報。島に生きることの至福。〈夕暮れの小春の里の牛の声 川間佳俊〉〈小春日や山羊の前足塀に掛け 中村緑子〉なども島の農作業の日常がうたわれている。

    05./奄美の季節風は「新北風(ミイニシ)」から「北風(ニシ)」へと変化していく。初春の荒南風(あらばえ=春一番)が吹くまでの数か月のあいだ、島には時に強く吹く季節風と付き合うことになる。島に生きるということはこの風とつきあい、むきあい、意識するということである。その北風と藍染めの青とからみあわせたこの句は、この風が身にしみた身体の実感があってこその表現なのである。
    ほか季節を感じる句として〈小春日の奄美の森に日陰ヘゴ 益岡利子〉〈小春日や石垣囲ゐの島の家 碩よしえ〉〈ガジュマルの根より顔出す石蕗 クロッカス〉。



     

    11月の特選奄美俳句5選No.02/2015.11

    • 2015.11.05 Thursday
    • 09:28
    二回目となります「今月の奄美俳句特選5句」です。
    南海日日新聞に掲載された10月28日から30日までの「なんかい文芸」のなかで、俳句グループの四つのうちから五句をえらんでいます。

    01.ショチョガマの秋風に揺れ人に揺れ  武田吉子

    02.新北風や立神岩の片瀬波  森美佐子

    03.新北風や三味の音こぼる珊瑚垣  登山磯乃

    04.眼白来てパパイヤつつくひもすがら  紅ベンケイ 
     
    05.月の舟今再びの恋心  内藤起子

    --------------------------------------------------------------------
    〈評〉
    01./奄美大島の代表的な祭りのひとつである
    「ショチョガマ」。大島郡龍郷町秋名においてアラセツ (新節)=稲作の新年=の行事として行われる。「平瀬マンカイ」とセットになっている。祭りために設けられた祭場に人が乗り、海上の稲霊を招来する。多くの現物客が訪れ、この句はその祭りの様子をよく伝えている。

    02./長かった奄美の夏の終わりと、季節のうつろいを示してくれる季節風(北風)を「ミーニシ(新北風)」と呼ぶ。奄美群島に住むひとたちが、季節を日常の中で実感する気象である。その新北風が海岸近くに立っている立神岩(だいたい三角錐の形をしている)にあたり片瀬波を起こしている。そんな光景を描き出している。
     

    03./新北風、珊瑚垣(珊瑚の破片を積み重ねて出来た屋敷垣)、三味(しゃみ、三線のこと)と3つ、奄美を象徴するものを並べ季節の移り変わりを表現しようとしている。わたしも今年一月名瀬の街を歩いている時、どこからか三線の伴奏で島唄を練習する声が聞こえてきたので、こうした光景は奄美では日常なのだと実感している。

    04./眼白(メジロ)はこぶりながら、目の周囲が白い愛嬌のある鳥。それがパパイヤをつついているという。そうした光景をやさしくみつめる目線があってこそ、この句は成り立っている。そしてその光景のただなかにいること(=ひもすがら)であるとの自分の立ち位置の自覚も詠まれている。

    05./「月の舟」をどう読むか。ロマンティックなこの句の道具仕立てのひとつなのか、本当に「恋心」をいだく作者が見てしまった「心の乗り物」なのか。「今再びの」と強調しているさまは、なにか大きな心的環境の変化があったのだろう。恋心をいだく=なにか新しい人・モノへの強い情動を起動させている=自分への讃歌なのだろう。


     

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